職場の小さな冊子に載せた小文の記録です(詩)

思いつくまま

夢袋掲示板I

トップ

見る愛

メール

つくしの日記

卒論

リンク

猫と日向ぼっこ(連休について)  2007.3 

 五人で生活している我が家は、休日ともなると「ニギヤカ」です。
 けれども、先日の二月十二日は違いました。家族は、泊まりで出かけていたり早朝から仕事に出かけたりして、思いがけずわたしひとりだけの休日になりました。
 ゆっくりと目覚め、布団を干し、猫たちのトイレの掃除、洗濯や掃除、乾いた洗濯物の片づけのあと、昼食を摂り新聞を読みながらひとりでお茶を飲みました。のんびりと日向で猫をなでながら本を読む幸せに浸ったのは何年ぶりでしょうか。こんなふうに過ごしていた時期もあったなぁと思いながら、日の傾きに追われるようにふかふかの布団をとり込み、洗濯物を家の中に入れてたたみ、夕食の用意にとりかかりました。
 長年「主婦っぽい」生活をしていなかったためか、ただ忙しがってあまりにも余裕のない毎日だったからか、はたまた家では一人になる時間がほとんどないためか、とても新鮮で満たされた気分になれた三連休の一コマでした。

牛の目(干支について)   2006.11

 自分の干支の「牛」が結構気に入っています。
 牛は大きくて、かわいい目をしているのをご存知ですか?
 若くて細かったその昔(きれいだったと言えないのが残念)、「牛のように大きな目をしているね」と言われことがあり、「ふふふ、丑年だからね」といい気分になった記憶があります。ちなみに最近はほっぺの肉に埋没した私の目を見て「あれ?Fさんてよく見たら目が大きいのね?」なんて友人がこともなげに言い放ちます。
 目の大きさが目立たなくなった分、世界が見えるようになりましたと言うことができれば格好いいのですが、そうはいかないところが未熟者たるゆえんです。
 幼い頃、牛はたんぼを耕すときや稲を運ぶときに活躍しました。背に荷物のないときは鞍に乗せてもらい、山坂の道を登るにも下るにもドキドキワクワクしていたものでした。 
 鈍牛、のっそりなど、なんと言われようとそれらを含めて「牛」が好きです。
 干支について考える機会に……と編集長から言われたのですが、何も考えないまま原稿の締め切りがきてしまい、若干の罪悪感をもちながら書き終えました。

みょうがだんご(思い出の食べ物) 2006.7

 忘れられない食べもにみょうがだんごがあります。こどものころ食べた茗荷団子は、餅米の粉で作った団子にあんこを入れ、茗荷の葉を十字に巻いて蒸したものです。子どもだったのにこの匂いのきつい癖のある団子が好きでした。これは「田の草取り」の「こびり」(おやつ)に出されるものでした。担任の先生にも食べてほしくて学校に持って行ったことを覚えています。母が「よっぽど好きなんだネー」と笑っていました。
 当時の村では農業を営まない家はなく、どの家も農繁期と農閑期がはっきりしていました。農繁期には都合のつく家から手伝いにきてもらい、こちらの都合がつく時には手伝いに行く「え」(標準語を忘れました)という互助のシステムがありました。家族以外に幾人かのお手伝いの人がいるため、おやつは大量に作られるのでした。
 また田植えには、朝早くから始めるため、イタドリの葉で包んだ「きなこのおはぎとごまをまぶしたおにぎり」が鬼アザミの煮しめと一緒に朝食代わりに出されました。このアザミの煮しめは中心の葉脈の部分と丸干しした大根、鯨の肉などを煮干しの出汁でしょうゆ味に煮付けたものです。こちらも今考えれば大人の味といえるのですが、楽しみな料理の一つでした。
 大きなコネバチで米の粉をこねて作る、焼き餅(おやき)も好きでした。焼き餅は直径10センチほどもあるまんまるな団子です。祖母と母が一緒に、中にあんこやイカの塩辛、野沢菜の漬け物やそれを炒めた物、野菜の味噌漬けを刻んだもの等、いろいろな種類の団子を作っていました。
 友達を家に呼んでまで食べてもらいたいと思ったのは、サツマイモをゆでてつぶし、おにぎり状にまるめて炭火で焼いたおやつでした。これはあまりよその家では作らなかったようで、自慢の一つでした。家族がいない時は焼かずにおにぎり状のサツマイモを食べましたが、それでも結構おいしいものでした。これは農作業用ではなく、おやつとして作っていたように記憶していますが……。
 あー、懐かしい気分になってきました。ここに記したものは今ではもう、農作業用には誰も作らないものばかりのようです。

共働ということ 2006.4

 あるむで仕事をするようになってから七年が過ぎました。「障害のある人もない人も共に働こう」という理念の元に始められた二〇余年にわたるあるむの歴史からいえば、私が携わった年数は浅いものです。
 あるむは「働く」ことを前面に出してきた作業所です。そしてあるむで働きたいという人に、条件を付けず受け入れてきたといえるでしょう。一般企業で働くことが難しい人、一般就労への待機場所としてあるむを利用している人と様々ですが、報酬が少ないという難点はぬぐえないものの自分のできる仕事をし、障がいのあるなしに拘わらず共に働いている作業所であると自負しています。
 みんなで働いて、障がいのある仲間が年金と併せてひとりで生活できるだけの報酬を得ることができるような作業所を目指しています。法人化はこうした目標へ向けての第一歩でもあると考えています。
 NPO法人設立にあたり「共働」の文字を付けたのは、あるむ開所当初からの理念を残したいという強い思いがあったからでした。
 「地域作業所」としての認可を第一の転換期と考えるならば、あるむの「第二の転換期」に立ちあえたこと、今後の運営に仲間と共に携わっていけること、あるむの展開・発展を手伝えることをうれしく思いながら、責任も重く感じています。

恋人は花、友達は実(ともだちについて)  2005.11
 友達は多い方だというべきか少ないというべきか判断に迷う。親友、愚痴を聞いてくれる友人、お酒を飲みあう友人、
一緒に遊ぶ友人、幼友達、高校の時の友人、学友……。様々な友人がいるけれど、最近は気の合う友人とじっくり付き
合うのがいいと考えている。
 友人には生活を楽しんでもらいたいと思い、応援を惜しまないつもりであるが、友人たちからはそれ以上に応援して
もらっていると実感するこのごろである。
 人生でいうなら恋人は花、友人は実といったところだろうか。
引越今昔物語(引っ越しについて)  2005.7
 田舎から出てきて一人暮らしをしていた二人が、結婚のため、互いのアパートから新居の六畳一間のアパートへ越した時
のことである。彼のアパートから歩いて15分、私の住まいから歩いて30分くらいの距離をリヤカーに荷物を積んで運んだ。
彼の荷物は段ボールや風呂敷に包んで運べるような物ばかりであった。私の荷物とて大差はなく、かろうじで整理ダンスだ
けが大きな荷物とよべるものであった。
 新居で初めて電気釜や洗濯機を持ち、洋服ダンスなども揃えた。といってもお祝いにいただいたり、不用品をいただいた
ものがほとんどであったが。
 そこでは2年ほど住んだあと、社宅に4年ほどいて、現在の住まいに越してきた。市をまたぐ距離や家族が増えたことも
あり、友人達が来てくれて、さすがに小さなトラックを借りて引っ越しをした。ロープを使って家具をおろしたり、入れた
りなので、見ていて力のある男手が必要に思われた。あのころは友人の引っ越しのお手伝いにいくのはごく当たり前のこと
で、一日かけて引っ越しを終えた後、みんなでワイワイとお酒を飲んだりして歓談するのもまた楽しみなことであった。
 その後、引っ越しをすることはなくなったが、子どもたちが独立と称して近くに越したことがある。段ボール箱などを少
しずつ運び、テレビや小さな冷蔵庫、洗濯機などは乗用車で運び込んだ。
 リヤカーを引いたあのときから時代は過ぎ、引っ越しやさんに依頼する人も多くなり、引っ越しのお手伝いにいくことも
とんとなくなった。
 今回初めてあるむの引っ越しでプロの仕事ぶりを見せていただいた。その手際のよさと運び方のうまさに感心した。早く
て安くて安心だというなにかのコマーシャルキャッチコピーのフレーズが頭に浮かんできて、これだもの引っ越しやさんが
繁盛するのは当たり前だと得心がいった。引っ越しの諸々の煩わしさがないこと、プライバシーが守れることなどを考える
と、引っ越しから時代が見えてくるようであった。
昔むかし…(冬について)   2005.3
 越後の冬は11月の終わりごろに降る初雪にはじまる。子どもの私たちは「わーい、わーい」とはらはらと降り積もる雪を
歓迎したが、母はどんな思いで冬の訪れを迎えていたのだろうか。真っ白な大根や青々とした野沢菜を、冷たさで手を真っ
赤にしながら背をこごめて洗い、冬支度をしていた母の姿が思い出される。
 自在鍵に吊された鉄瓶はしゅんしゅんと音を立てていつでもお湯を沸かせていたいろり端。そこに入れ替わり立ち替わり
近所の人が訪れては漬け物をツマにお茶を飲みながら世間話をしていた。
 子どもといえども一年中仕事を手伝わなければならないような貧しい村であったから、冬は冬で屋根の雪下ろし、朝や夕
方に道を作るための雪踏みをしたりした。どちらも汗をびっしょりかくほどの仕事である。
 スキー、そり、雪合戦、迷路などなど雪を使っての遊びはつきず、陽が落ちるころに家に入ったことを覚えている。あか
ぎれもしもやけも遊んでいる時は忘れているのであった。こたつで暖めていると冷え切った手足は、ズキズキと疼くような
痛み。「痛いよー」と言いながら手をさすってもらったのは、遠い、遠い昔の記憶である。あのとき以来、暖めたら痛くな
るほどの冷たい思いはしていない。
 バスも通わなくなる静かな村の冬は、まだ「出稼ぎ」などする人もなく、今にして思えば大人は子どもを慈しみながら過
ごしていたのだろう。大人たちと一緒に話をしながら縄をなったり、衣類などを縫い上げたりする母のかたわらで遊ぶのは、
のんびりした時間を共有しているようで安らげた。
 自家製の干し柿やお焼きの味も昔むかしの語りぐさでしかなくなり、「冬の夜」の歌詞(ともしび近く衣縫う母は 春の
遊びの楽しさ語る いろり火はとろとろ外は吹雪)そのままのような思い出を持つ私は、あのころの母の齢をとうに越して
しまった。

秋は強い…?(秋について)  2004.11
 今年の夏は異常に暑かったのですがそれでもやっぱり秋は来ました。
 まず最初に感じた秋は「風」というか「空気」でした。暑い日々のふとした瞬間にさわやかな空気で秋を感じました。
その次には雲に秋を感じました。秋本番のこのごろはあまりに多い台風が恨めしく思われますが……。
 秋にちなんだもので私のもっとも好きなものを並べてみますと食べ物は柿とサンマ。花ならコスモス。香りは稲穂と金木
犀。空は青色と鰯雲。山は紅葉でしょうか。
 そうそうそういえば先日、友人に「芋ようかん」を送りました。新サツマイモの季節でもあるのですね。
 秋は「黄昏時」に似た寂しい季節だと思っていましたが、人生に重ね合わせると厳しい冬をも丸抱えする覚悟を持った強
さを感じる季節だなと思うこのごろです。
理想の休日(休日の過ごし方)  2004.7
 ゆっくりと十時頃に目覚め、きれいに片づいた部屋で優雅にブラックコーヒーを飲むところから始まる休日。新聞に目を
通しながら猫とひとしきりじゃれあう。散歩の済んだ犬に話しかけながら頭をなで、花に水やりをして午前中が終わる。な
ーんていうのが理想です。
 元気な時の休日は、散らかった部屋を掃除したりまめまめと主婦をしますが、疲れていて予定のない日は眠れるだけ眠り、
とにかく何もせず何も考えないことに徹します。ここ十何年、疲れっぱなしの日々です。あ、これは加齢によるものでしょ
うか。
 プライベートな行事は全て土・日の休日に予定するため、「やることがない」「暇」な休日はないのが現状です。平日に
何も予定のない2週間くらいのお休みが欲しいですね。
 休日さえもこうしてバタバタしながら過ごすのって「ドーヨ」という感じで、情けないわたしの休日であります。
推理番組が好きなわけ…?(テレビについて)  2004.3
 「一億総白痴」と怖れられたテレビでしたが、「本」離れに「家の中にあるテレビ」が与える影響は大きいものがあっ
たでしょう。けれどもビデオまでセッティングされては、もはやそのための批判対象としてとらえるわけにはいきにくい
ように思います。
 すごい普及率の「インターネット」よりもはるかに速くしかも広範に普及しましたよね。なんせ、スイッチを入れるだ
けで自分の解ることばで世界中のニュースや娯楽番組、映画、宇宙まで放映してくれるのですから。時計代わりをしてく
れ、交通事情、天気予報、占いと出がけのこちらの心構えまで面倒を見てくれ、子守をしてくれるし、大学の授業もあり、
自身も参加でき、さらにはBGMとしての需要も高そうです。スポーツ観戦、コンサートも「生」にこだわらなければそ
れなりに楽しめます。時刻表を眺めながらの想像旅行より、ずっと臨場感あふれた旅番組あり、短時間で作れるおいしい
料理のレシピもすぐに入手できる料理番組ありの「いたれり、つくせり」、いうなれば「テレビ万歳」ですか。
 個人的にはテレビがないと生活できないというタイプではないですし、一人の時はBGM代わりにテレビをつけること
はなく、選択する番組は「サスペンス」「推理」だけです。「コロンボ」「古畑任三郎」「取調室」(し、知ってる……。
見てるんだね。)などのような、犯人を問いつめていくといったものは苦手で、こちらに推理出来る余地のあるものが好
きですね。最近は番組が始まってすぐにストーリーを推理したりしています。ヒトのココロをスイリするのがオモシロイ
から、推理番組が好きということにでもしておきましょうか。

“旅”という言葉に思う事(旅について)  2003.11
 旅といえば美空ひばりの「川の流れのように」の歌詞を思い起こします。人生は旅そのもであるという歌詞は胸にしみ
ます。
また「花笠道中」という歌も思い出します。これは「これこれ石の地蔵さん、西へ行くのはどっちかえ?」という歌詞で
あり、幼い頃お気に入りでよく歌いました。(人生の旅をしてきたことがこの文でわかりますね。)
 放浪癖のない私は、旅といえばやはり温泉がいいですね。のんびりと温泉に浸かって「極楽、極楽」といっていれば満
足です。一人思索にふけって……とか、知らない土地に興味を持って……とかではなくて、のんびりするか名所旧跡を訪
ねるというミーハーな旅しかしたことがないものですから、旅に関してうんちくを語るほどのものは何も持ち合わせてい
ないのであります。
 海外旅行には行ったことがなく、これはもうあこがれです。海外に行くための一番の難点は「ことば」です。外国語は
カタカナさえも恐怖の対象である私にとって、その不安さえ解消されれば是非行ってみたいものです。外国には旅として
ではなく、仕事などで行くことになるのが理想ですが……。これはもう、実現しない夢ということになりそうです。
人生の3分の1の損失(好きな音楽について)  2003.7
 「音楽」に魂を揺すられることがめったにない私は、人生の1/3の楽しみを失っているような気がします。どうし
てこんなに感性に乏しいのか不思議なほどで自分のことながら常々残念に思っています。
 「歌詞」と「曲」では「歌詞」のほうに反応し易いようで、「よいとまけの歌」「かあさんの歌」などは聞いている
と涙腺がゆるみます。
 「曲」について強いてあげるならば、歯科医院での静かなクラシックはやはり落ち着きます。曲名や作曲者もわから
ないながら、気持ちがほぐれるのですから「音楽」は素晴らしいと思えるにもかかわらず、ほかではBGMとしての
「音楽」は必要としません。「音」がないほうがむしろホッとします。
 流れてくる「音楽」をちゃんと受け止める「耳」がないようで、「聴く」気になって聴かないと心に響かないのです。
聴くためのコンサートなどは楽しめるのがせめてもの救いです。
 とはいえ、季節やうれしいことなどがあると口をついてでる歌はあります。春なら「若葉の季節(天知真理)」「若
葉」、夏「我は海の子」、秋なら「里の秋」「もみじ」、冬は「冬の星座」。あらら、唱歌といわれるものばかりです
ね。やっぱり「音楽」には疎いようです。
 恥ずかしいので大きな声では言えませんが、いろいろな音楽を聴いて、いつか人生観が変わるほどの「音楽」に巡り
会えることができたらいなと密かに考えています。
昔の田舎の春(春について)   2003.3
 春と言えばやはり子どもの頃の思い出がすぐによみがえります。それは五ヶ月にもわたる長い雪に閉ざされた生活から
の解放でもあります。雪が解けきる五月にもなると、花が待ってでもいたかのように一斉に咲き始めます。山桜、かたく
り、一輪草、しょうじょうばかま、もじずり、いかりそう等々。それらを惜しげもなく摘んで遊んだものでした。もじず
りは「ねじりばな」とよんで、それで髪をねじっては「いたいよー」「いたいよー」と友達と笑い合ったのですが、いっ
たいそれの何がおもしろかったんでしょうね。
 子ども心に草や木の芽や花が咲くのを見ては、胸が締め付けられていたのを覚えています。木によって芽吹きの色や形
が違うことを見たり、春の山菜を摘んで料理してもらって食べたりで、それは一昔前の絵本でもめくるような感じで思い
出されます。
 中学生の時、卒業式の送辞だか答辞の練習をしていたとき、「桜の花がさくころ」の部分をクラスメートの男子の一人
に「桜なんて五月にならなくちゃ咲かないだろう」と指摘されました。田舎の三月は、雪の中に梅が咲いているだけでし
たし、村に数本しかない「ソメイヨシノ」という桜はもちろん、蕾ともいえない堅さのままでした。でもラジオのニュー
スでは入学の頃になると「桜の花がさいて」と毎年流れていたのでそれを原稿に使用したのでした。指摘され、恥じた私
はその原稿を書き直したと思うのですが、どう直したのか、どのように読んだのか全く記憶にないのです。ほろ苦い「桜」
の思い出です。

仕事について  2002.11
 私にとって仕事は、生活を支える経済的基盤に他ならないはずなのであるが、仕事が生活そのものになっている。
 あるむでの仕事は効率のみを追求するものではなく、かといって効率を追求しないですむわけではないといった微妙
な「サジ加減」を必要とする。その「サジ加減」も仕事であるといえよう。
 目的をもって進むことが、私にとっては楽に感じられる。「仕事」には目的があるのでどんな仕事も楽しみながら取
り組むことができる。
 「人」を相手にする仕事ができるようになるために、いろいろな知識や技術、教養を身につけて、ずっと学び続けて
いきたいものである。
赤い鼻緒の草履(子ども頃の思い出)  2002.7
 越後新潟の山奥(山を一つ越えたら信州長野である)で生まれ子供時代を過ごしました。くねくねと続く谷が県道で、
両側の山の途中に家がぽつぽつとあるそんな村の風景を想像してください。
 雪深い冬の終わりは子供心にも春への期待感でいっぱいになる季節でした。それは「しみわたり」ということができ
るようになることから始まります。屋根から庭、野山が全て白一色の世界を、どこまでも歩いてわたれるのです。朝早
い時間は雪が固くざらざらになった状態でその上に乗っても沈んだりしないのです。通学する時もわいわい言いながら
みんな、わざわざ道ではない野山を歩いていきました。前の夜に読み切った「コタンの口笛」のあらすじを思い浮かべ
ながら歩いたことを、なぜか今ふと思い出しました。
 焚きつけ用に使う杉の葉を大人も子供も拾いに出かけるのはこんな日です。
 休みの日には、近所の子供達だけでごはんや鍋、お椀、味噌と卵を持って、たんぼや畑の雪の上を「しみわたり」し
ながら山に出かけました。山でかまどを作り薪を集めて火をたき、「あさづき(細くて小さな葱状の山菜)」を摘んで
卵を入れたみそ汁を作って食べました。箸は枯れススキを折って作り、のどかな山の遊びを楽しみました。「しみわたり」
ができる日を毎年楽しみに待ったものでした。素朴で貧しい村の生活でしたが、今ならなんて贅沢な遊びだったかと思
われます。
 そして春です。春は雪解けです。道路の雪が解けて土が見え、飛び石状態になった乾いた土の上を歩くのは何にも代え
難いような開放感でした。それは5ヶ月間にも及ぶ長靴生活からの開放感です。
 ゴム草履よりも父や祖母が作ってくれた軽くて足にフィットする赤い鼻緒のわら草履をはいて土を踏むのがうれしく、
それはそれは小さな乾いた土のスペースで、縄跳びをしたりまりをついたりして遊びましたが、遊びそのままに気分も跳
ね、弾むものでした。
 庭の隅に赤くてツヤツヤと輝く「シャクヤク」の芽生えを見つけると、決まって胸がドキドキしたのを覚えています。
雪国の春は大きな感動をもたらし、私の感受性の原点になっているように思われます。
 そうそう、男勝りであった証拠のお話を一つ。木登りが好きで得意でもあったので、写生大会とか理科の植物観察など
での野外活動のおりによく木に登ったのです。そして、木から木へと猿のように移っては得意になっていました。付いて
くることが出来ない男の子達が、悔し紛れに私が登っている木の枝に蛇を投げたのには参りました。泣きながら大声で先
生を呼び訴えたところ、「木登りなんかしているからよ!」と先生に一喝されてしまったことを懐かしく思い出しました。
ありがとう(16年後の私)   2002.3
 十六年後の私から、現在の私に手紙が届きました。
 私は、七年後に幾人かの友人たちと一緒に住める家を建てようと計画し、土地探しをしています。大和市が好きなので、
できれば今の住まいの近くがいいと考えていますが、相変わらず富裕な生活は望むべくもなく、資金繰りに苦慮している
ところです。
 あるむで働いていた十六年前の私に心から感謝していることがあります。それは様々な人たちとの出会いと同時に、出
会った人たちとの関係を大切にしていたことであり、勉強を続けてきたことです。お陰で今でも仕事を続けていられるの
です。あのころからの夢であった、「人が迷った時に、ポンと背中を押して幸福への一歩を踏み出す手伝い」といった仕
事をしています。それなりの悩みもありますが、充実した日々です。
 そういえば先日、沖縄で悠々自適しているJさんから、私の好物のサータアンダギーが送られてきました。それはもう
大喜びでいただき、お礼のメールを出したところです。ついでに今度はパイナップルを……とおねだりしてしまいました。
 かわいかったIさんの一番上のお子さんも十六歳になったんですよ!私も歳をとるわけですよね。三人のお子さんに恵
まれてしあわせなIさんとは、時々お茶したり、お食事したりして、楽しいひとときを過ごさせてもらっています。
 Nさんともメールのやりとりをして、若いエネルギーをもらっているのもありがたいことです。あのころから子供好き
だったでしょうNさんは。それで今はお子さんが四人で楽しくにぎやかな家庭のようで私も嬉しいです。
 あるむでの仲間はみんな元気にしていますよ。中には私が消息を知らない人もいますが。
 16年前の私にありがとうを言いたくて一筆したためました。

夢の話(ユメ・夢・ゆめ)  2001.11
 よく楽しい夢を見るので、人生を二倍楽しんでいる気がします。
 何といっても空を飛ぶ夢は一番気分がいいですね。立っているそのままの姿勢で、ポンと飛びあがると、ふわぁーっと
上に舞い上がることができます。町の家並みの上を飛んでいるとおもえば山の上、川の上と自由自在です。その時に両手
を広げて飛んでいるのは、我ながら笑えます。
 もうすでに亡くなった父や兄、級友にも夢の中でよく会えるのも夢ならではの楽しみの一つです。「やっぱり亡くなっ
ていなかったんだよね、よかった!」と思いながら話す夢は、覚めてから夢でも会えてよかったとしみじみうれしくなる
たぐいのものです。
 金運がよくなるといわれる白蛇の夢もたまにみますが、一向に金運の気配がないのは、蛇そのものを気嫌いしているか
らでしょうか。どこかから遺産が転がり込むとかすると正夢になるのですが……、あれっ、これはうつつの夢でした。私
としたことが……。
 家でかわいがって飼っている犬や猫の夢をめった見ないのは、どうしてなのだろうかと不思議です。不思議といえば、
夢の中の娘や息子はいつも幼児や乳児であるのも訳があるのでしょうか。
 ちょっと珍しい夢は、見たこともない食べものを味わうというものです。彩りもきれいなそれを食べ、おいしく感じ、
満足している私が夢の中にいます。これってただのくいしん坊でしょうか。ごちそうを食べようとしたところで目覚めた
時は、さすがに残念の極みです。
 さてさて、あさましい私の現実の姿が暴露されないうちに、夢の話はこの辺でおしまいにするとしましょう。
夏の思い出  2001.7
 二年前の夏に初体験したことで、人生の楽しみがぐっと増えました。
 初めて沖縄に連れていってもらったときのことでした。あの海の青さときたら!「わぁーっ、きれーっ!」と言ったき
り、後に続く言葉が見つかりませんでした。砂の白さとのコントラストも見事なものです。
 渡嘉敷島に渡り、泳げなくてもスキンダイビングができると誘われて、白いモーターボートに乗り込みました。インス
トラクターに見守られながら、ライフジャケット・ゴーグル・シュノーケル・フィンをつけ、海へ。あら不思議!体が浮
いてしまうのです。足を動かすだけで前に進むのです。そう、この私が泳いでいるのでした。断っておきますが、もちろ
ん肥満のため浮いているんじゃないのですよ。見える、見える!色とりどりの魚やサンゴが見えるではありませんか!海
の中の地形も見え、深い部分はさすがに恐怖を感じましたが、静かで地上とはまるで違う世界を体験してしまいました。
 泳ぐことが出来なかった私は、海が苦手でした。あのザラザラする砂の感触も好きになれない原因の一つでしたが、沖
縄の砂はサラサラとしていて、拭うとさっと取れてしまうのでした。
 う〜ん、いいなあ沖縄。楽しいなあスキンダイビング。すごいなあライフジャケット! テレビでしか見たことがない
世界が、眼下にあるのですから。
 さらに昨年の夏、初島でライフジャケットなしでスキンダイビングができたのです。もぐり方も教えていただいてとに
かく出来る様になりました。泳げない私が……もう「感激」の極みでした。
 今では海は「楽しめる」ものとなり、苦手意識が消えました。この年齢でこんな楽しみを味わえるなんて、大声で「あ
りがとう!」と叫びたい気分です。ホント、人生何があるかわからないわけで、ずっ〜といろんな楽しみを見つけながら、
死ぬまでいきることにしましょう。
行きたいところ(行ってみたいところ)   2001.3
 行きたいところねェ……。たくさんあるような、別にないような複雑な気分です。
 基本的にはどこでもくつろげますが、ゆったりできるところに行きたいですね。好きな人の側ということでしょうかやっ
ぱり。ということは、家に行きたいということになるのでしょうか。かわいい二匹の猫とガッツキの犬がいて、足の踏み場
もないほど散らかっているあの家に?まあ、とりあずあそこは私の天下であり、最高にくつろげるところではあります。
 あるむも行きたいところです。うーん、かなりくつろいでいるのがばれてしまいますね。
 九十歳の母のふところも、行きたいところですね。行こうと思えばいつでも行けるところなのが、ありがたいですね。田
舎で一緒に住んでくれている家族に感謝しています。
 付け加えるなら、日本各地の温泉・名勝地に行きたいものです。海外なら観光スポットがいいですね。何を隠そう私はミ
ーハーなのであります。
 ここだけの話ですが、一番行きたいところは、人の心の中なんですよ。ここだけの話ですがね。
 ちなみに行きたくないところは病院と美容院です。特に歯科とエステは苦手です。この年になっても行きたくないその場所
で働く医師は、立派ですよね。もっとも、行きたくなくても、行かざるをえない人で、どこの病院もごった返していますが。
 エーッ!タイトルは『行ってみたいところ』だったんですか?行ってみたいところ…紙面の関係上、それは別にございま
せんです。はい。

仕事について(仕事の事) 2000.9
 私自身は本質的に仕事が好きです。根が真面目なのです。(マジ?なんて言わないで!)と思っていたら最近そうでもな
いのではと疑いだしてきました。母親としての仕事は?う〜ん……。主婦としての仕事は?は〜っ……。となれば報酬を貰
う仕事もきちんとできないのではないのか?それを認めるのはとてもつらいことです。
 あるむではMacintoshを使って版下製作や文字打ちの仕事を担当していますが、ミスメーカーのような存在ですっかり意
気消沈の日々です。あせって緊張すればしたでまた……というわけで「自分のありのまま」を認めないわけにはいかなくな
りました。
 職場は明るく楽しめる場所であることが理想です。そういった意味ではあるむはとても素敵な職場です。
 仕事には、みんなが仕事を覚えながら収入を得て、明日も働こうという意欲をもってもらうという一面があります。私自
身が楽しんでいる毎日なので、この仕事はうまくいっている……といえるのでしょうか?はて、さて……。
やってみたいこと   2000.3
 「やってみたいこと」と「やりたいこと」とは違うのだとみんなでワイワイ言いながら、自分の「やってみたいこと」を
考えてみた。
 二月の十二日(日本時間)毛利衛さんが五十二歳で二度目の宇宙飛行に旅立ち、二十三日に帰還した。というニュースに
刺激され、そうそう宇宙旅行というのもあった。最初はお月様見学かな。
 二月の末に河津桜を見に行った時、色鮮やかなハングライダーが十翼ほど一度に飛んでいて鳥のようであった。ん、これ
も捨てがたい。よく夢で見る、空を飛ぶ感覚とはきっと違うんだろうな。
 しなければならないことを、やりたくないからというそれだけの理由でやらないでいること。結構勇気がいるね、これは。
でもやってみたら痛快かも知れない。それとも自己嫌悪かな。
 あとは、ドラえもんのカバン持ち。な〜んてね。実は一番やってみたいこと、それは我が家のポインター犬を家の中で飼い、
めちゃめちゃなでまわしてかわいがり、なおかつ、きちんとしつけをすることである。
 他人の苦しみや悲しみ、喜びなど少しでもわかることが出来るように勉強して、求められたら私なりに適切なアドバイスを
すること。その一言で幸せに感じられる人が増えていったら、どんなにか私も満たされることだろう。ちっぽけな私だけど、
「人間大好き」なこの気持ちを大切にして人生をやっていきたいね。

ペット(私のペット)1999.11
 捨て犬だったリッキーを飼い始めて10年になった頃、猫だけは飼わないと思っていたが捨て猫に出会って飼う事に。
 コテツと名付けて一緒に生活し始めて驚いた。私自身にこんなに愛情というものがまだあったのかと思うと同時に、「猫
っかわいがり」ということばの語源を知ったように思った。とにかくかわいくてかわいくてどうしようもないのである。
 猫はクールだとか言われるがそんなことはない。遊んでくれと訴えるし、呼べば目線を合わせて返事もする。トイレの掃
除や好きな缶詰のおねだりもする。家族が帰宅すれば玄関で待っている。
 コテツより一年後に拾ってきた猫のチビは、まだ歩くのもやっとの小ささであった。コテツの出ないお乳と、ミルクで育
ちコテツを母と思っているらしい。母親の元でのんびりとしておっとりした猫になって、時々コテツに叱られたりしている。
 リッキーは手の掛からない犬で16年生きて、昨年八月に事故で死んだ。傷もなく眠ったようなデスマスクはいっそうの悲
しみを誘うものであった。犬だけはもう飼うことはないと思っていたのだが、一年たたずに今度は成犬の捨て犬、ロンに出
会ってしまった。コテツもチビもロンもペットと言うよりは家族に近い存在である。愛情を要求され、世話をやかせ続けら
れながらもかわいくて話題の中心にいるのである。
 命の尊さ等云々よりも、こうして無条件で愛情を注ぐことができる対象があることの喜びは、何にも代え難いものがある。
私の夢(私の夢 僕の夢)19999.7
 夢…あるようでないようで。
 しっとりと落ち着いた、それでいて頭も心も柔らかいおばあちゃんになり、ころっとあの世へ。イエイエその前にイン
ターネットで心ゆくまで遊びたいですね。
 英会話を覚えて外国旅行。いろいろな国の人と直に話して、お友だちを増やすのもいいかしら。そして日本の良さを再発
見などしてみたいものです。
 見聞を広めて(今からでは遅い?私の辞書にはそんな言葉はないのです。)、感受性豊かになるよう自分を磨き、「人々
の幸せ」のために役に立つ人になれたら本望です。
 まあ、いろいろな人の笑顔が私にとって「財産になる」なんてことになったらほんとうにしあわせだと思います。でも神
様から欲ばりすぎだとお叱りを受けるかも知れませんね。そして夢だけで終わりになる……。
自己紹介 1999.3
 はじめまして!
 一月半ばから非常勤としてあるむの仲間になりました○○○○○です。
 もう十年以上も前からあるむにいるような顔をして、にぎやかにしていますが悪気はありません。
 みなさんと楽しく仕事をすることを願っていますので、なかよく、よろしくおつきあいをお願いします。
自分の花を咲かせよう   1999.3
 花…さくら…うばざくら…。いいえ、私はまだ現役真っ只中で身体は老化が始まりつつあっても、気持ちはやる気満々。
夢も鼻もふくらむ、花の五十歳!
 私には、自分を苦しめずに楽になる考え方をするという得意技がある。(反省はしても後悔はしないというのかな)おか
げでもったいないほどの幸せな気分で送る人生。これは私にとって最も自慢できる花である。
 更にあるむに就職して、所員や職員のみなさんやお客様との関わりを、スムーズにこなすことができれば満開の花を咲か
せたことになる。人間関係というのが一番やっかいで難しいものだから。
 自分で咲かす花ではあるが、どんなに努力しても自分一人では決して咲かすことはできない。関わりのある人、直接関わ
りのない人たちからも何らかの力添えをいただいて咲かすものである。自分の花を咲かすということは、自分以外の人に感
謝の意を表したことになると信じて、あせらずポチポチ咲かせていきたい。