つくしの日記

ささやかな日常を綴った日記です

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2004年           

2004年12月31日(金)
津波はインドネシア、インド、スリランカ、タイなど12か国に及び被害甚大である。
被害者12万人ともいわれている。想像がつかない大きな災害である。

一昨日の29日、関東に初雪が降った。少し積もった。
中越地方のことを思うと、雪は心弾むどころか心が痛む。
雪の中、職場のメンバー3人と忘年会。

昨日の30日、補聴器体験をした。無料で貸し出すとのことで借りてきた。
あまり効果的ではない気がする。
再検査もなしでいきなり補聴器を売る相談。どうも納得がいかない。
奈良市の幼女殺害事件の犯人逮捕。
紀宮内親王が婚約内定発表。

大晦日の今日、また雪が積もった。
モコモコと牡丹雪の降る中をあわてて買い物に行った。
掃除を済ませ、おせちも作り、風呂にも入って年越しそばを食べた。
友人からいただいたそばはおいしいかった。
テレビを見ながら年賀状を書き今年が暮れた。
2004年12月26日(日)
26日早朝、スマトラ沖で地震があり2時間ほど後に大きな津波が起こった。
被害が大きいようである。
年末に来て……。
2004年12月25日(土)
Mが入籍を済ませた。
おめでとう!暖かな安らげる家庭を作りなさいね。
家庭は自分たちで作り上げていくものなんだから。
思いやりを持たなければ家庭は続かないことをあなたは知っているよね。
お互いに信じ合って生きていってね。
2004年12月21日(火)
研修会で不自由するほど耳が聞こえないので、病院に行ってみた。
年齢の割には難聴ということで補聴器体験を勧められ、予約を取ることに。
ここまで来ると年齢を感じざるを得ない。
精神的なことが原因となっているのではないかと思われるが、医師とそういった話をする雰囲気ではなかった。
私「耳の中でミンミンといった声が聞こえるような気がするのですが、これが耳鳴りでしょうか?」
医師「ミンミンゼミが耳の中にいるんでしょう」
漫才やってるんじゃないんだけれど……。
精神安定剤やめまいの薬や痛み止めが処方されていた。必要ないと思うが……。
2004年12月18日(土)
恒例のみかん狩り。相変わらず天候に恵まれ、美しいロケーションであった。
今年はみかんのなりが少ないとかであったが、必要な量は確保することができた。
器量のいいみかんを摘んでいると、器量の悪いみかんが気の毒になってつい一緒に摘んでしまう。
器量の悪いみかんを自分のことのように思うらしい自分に笑える。
足がまだ完全に治っていないため、みかんを収穫したかごを運ぶ足下が心許ない有様。
Hさんの小学校3年のお孫さんが初めて参加し、昼食時に「ハイキングみたい!」と言い、
場を一層和ませた。子どもってほんとうに素晴らしいと思う。

奈良県で起きた少女誘拐殺人の事件では、今度は妹を狙うというようなメールが親御さんの
元に送りつけられたとか。あの忌まわしい宮崎勤の事件を彷彿とさせる。
2004年12月16日(木)
大和市作業所連絡会が餅つきに招待された。
毎年、本当にありがたいことである。

成年後見人の事例検討研修会に参加。勉強不足、経験不足でちんぷんかんぷんの研修であるが、
自分に力を付けて、仕事としてやってみたいと考える。
2004年12月12日(日)
Sさん親子来宅。お陰で今年最後の紅葉を見ることができたり、家々のイルミネーションをみたり、
おいしいソフトクリームを食べたりできた。
また、宮が瀬のツリーの点灯を初めて見ることができた。
消灯と同じようにカウントダウンをしていた。強風でツリーのランプが壊れたとHPにあったが
修理がすんだのか、いつもの年と同じように見事であった。
毎年少しずつ周辺の飾り付けの仕方が違う。

来宅してくださった方におもてなしもできないまま、かえってご馳走になったりして……、
心苦しいことであった。歳を重ねても相変わらず気の利かない自分にあきれる。
けれどもこれも紛れもなく私自身なのである。
2004年12月11日(土)
社会福祉士会の研修に参加。「対人援助職とアサーティブネス」
森田先生のお話はわかりやすく、緊張の中にも楽しめる要素を盛り込んだ講義であった。
私自身を認めるところから始めることが大切なのであろう。
「私には○○する権利がある」と声に出して言っているうちに、なぜか涙が出てきて
困った。自信をなくしている時だったから、気持ちが揺れたのだろうか。
2004年12月4日(土)
予定されていた職場関係の研修で、「ラッピング」の」講習を受けた。
きれいな包装紙やアイデア盛りだくさんの包み方に感心したり、おもしろがったりして
楽しめた。
12月なんてまだまだ先のことと思っていたのに、予定盛りだくさんの12月がもう4日も
過ぎてしまった。速いねー、月日の経つのは。まさしく光陰矢のごとしと感じる。
2004年11月24日(水)
22日に来宅した義父を連れて昨日の23日から1泊で伊豆半島は土肥温泉へ。
2日間とも快晴で風もなく暖かな日で旅日和であった。
富士山と海を堪能した。富士山は本当に美しいと、何度も何度も思い見飽きない。
土肥温泉では海に沈む夕日を眺めて、その美しさに感動した。
父も喜んでくれた。
2004年11月16日(火)
食事をしながら一人でワインを一本空けた。おいしく感じられた。
うーん、気分がいいと思えたのもつかの間、1時間半くらいですっかり素面に。
うちの職場でラベルと裏ラベルを印刷しているワインだが、甘くて飲みやすい。
基本的には醸造酒っぽいワインが好きだけれど、飲む気分でもないのに飲むには
口当たりがよくて飲みやすい。
なんといってもをその色のきれいなこと。何とも言えない上品な色である。
ロゼだが、黄色がかった薄いオレンジ色の液体には色っぽささえ感じる。
その名は大和ワイン「巨峰のしずく」。ネーミングもいい。

足の痛みが続くことに医師の方が不安であるらしく、薬を処方してくれた。
痛みがなかなか引かない。10割の人から「年齢だから治りが悪い」とか
「年齢だから……」といわれた。ハイハイ、年寄りですよ。
2004年11月14日(日)
怪我をしてから2週間。1日中休んでいたら腫れが引いた。
歩くと痛みが少しある程度になり、ああ、時間が解決するのかと安心する。
家族が家の外回りを掃除してくれた。さっぱりして気持ちがいい。

寝ころびながら参考書を読み、小論文を仕上げて送った。
次の資格を取得するためには、また1年近く勉強しなければならない。
やるしかないと決めているが、今ひとつ気合いが入らない。
2004年11月7日(日)
昨日左足の具合がいいのでついつい使ってしまったためか、今朝、内くるぶしの近くが何もしないでいても
ズキズキした感じの痛みがあり横になって休んでみた。
夕方には痛みが取れたのでホッとする。
「靱帯損傷だー」と騒ぎ立てたので友人からお見舞いをいただいてしまった。
たいしたことないのに……申し訳ないことであった。
その心遣いに感謝しながらも、反省しきりである。

柿が大好きなので、あちこちから柿をいただき大満足である。ありがとうございます!
今日も友人が柿を送ってくれるということで住所確認の電話があった。
私の柿好きを知ってのことかと尋ねると「そんなことは知らない。自分が好きだから」という
ことであった。理由はともあれ「柿なら何でも好き(干し柿も!)」な私にとっては幸せなことである。

昨日、今日と家事をしながらゆっくりと過ごした。秋晴れの日に布団を干したり掃除をしたりして
過ごすのは充実した気分。

主人、科目最終試験のため社会福祉士の模擬テストを受けることができずじまいであった。
なんとか3月の卒業を果たして、国家試験に臨んでほしい。
2004年11月1日(月)
自転車で出勤途中に工事中の道路で工事のために停車中のトラックに追突して横転。
何とか助け起こされて痛いけど大丈夫かと思い、そのまま自転車で職場へ。
自転車を降りようとしたら左足を着くことができないくらいの痛み。
痛みは時間を追って強くなってきたので念のためにと病院へ行ってみたら、
靱帯損傷というもっともらしい名前がつけられた。
松葉杖を借りて来たが片足を全く着くことができないのは不自由この上ない。
それでも松葉杖初体験ということを楽しんでしまった。
医師が話したとおり、夕方から夜にかけて痛みが出てきて足首、甲が腫れ上がってしまった。
ちょっとした不注意がとんでもないことになる見本のよう。情けない。

職場では怪我がたいしたことがなかったということで笑いものになり、加齢を自覚するようにとの
忠告をいただく。ハイハイ。
2004年10月31日(日)
今年も残すところ2ヶ月。ぼんやりしていたつもりはないのに、
この一年間何していたんだろう。

昨日、11時に相模大野でクラスメートと待ち合わせ、東京駅に田舎の方から
クラス会に出席してくれる友人を迎えに行った。
元気に変わりない姿のクラスメートと会うのはホッとする。

今日は雨を心配したが、出かける頃からやんで薄日さえ差す日になった。
初めてのはとバス体験。
銀座、新橋、お台場、佃の住吉神社を回ってきた。
乗っていればいいので大勢の時は便利。

太りすぎを指摘された上に「おまえ、老けたな」のだめ押し。
太る原因は旺盛な食欲だと宣言された。言われるまでもなく自分で感じる。
まずはマジで減量から実行しなければ……。
来年の2月頃また会おうという。複雑な気分。
2004年10月27日(水)
義父の90歳の誕生日を家族7人でにぎやかに祝った。
元気でいてくれる義父にこそ感謝!
Sは一人でパーティーの用意をしてくれた。ありがとう、大変だったね。
片づけはMがしてくれたので助かった。

新潟の長岡市で地震による地滑りのがれきの中から、2歳の男児が4日ぶりに無事救出された。
奇跡である。偶然に偶然が重なり、人力が尽くされて得られた命。胸が熱くなる。
神に感謝。
2004年10月24日(日)
昨日午後6時56分、義父と娘たちが来宅して食事をしていた時に一回目の大きな地震を感じた。
続けて同じように大きな揺れがその後2回あった。テレビを見ていたら震源地は上・中越とのことで
驚き、田舎に電話を掛けたが通じない。新潟県内はどこも通じない有様であった。
新幹線も初めての脱線事故。
今朝になって田舎に連絡がつき、田舎の全市は被害がなかったようであった。
今も余震が続き、長岡市・小千谷市・十日町市・山古志村などの被害はどんどん大きくなっている。

平成16年新潟県中越地震と名付けられたこの地震は、震度6度強。マグニチュード6.8の地震であり、
震源地が近いため、震度7に相当し阪神・淡路大地震と同じ程度の強い地震であるようだ。
道路が分断され孤立した村や、食料がなくひもじい思いをしている被災者、寒さに震える被災者などの
声がテレビで映し出されていた。
家には住めないため、村中で非難したところもあるようだ。
自然の力は途方もなく大きいことをまた知らされた思いである。
何人もの友人たちが心配して電話やメールで問い合わせてきてくれた。感謝。
2004年10月21日(木)
昨日は台風23号の襲来に備え、障害福祉課より注意の呼びかけがあったということで
午後2時にメンバーは帰宅してもらった。
職員も1時間早く仕事を切り上げ、5時過ぎに帰宅した。
防音工事に不備があったのか、1階の窓枠から雨が吹き込んできた。
それだけではなく、1階の天井からも水が滴ってきたのには驚いた。

こちらは雨が少し強かった程度であったが、ニュースによれば50人以上の方が亡くなられ、
怪我人も多く、家屋などの被害も大きい大型の台風であった。
台風22号の被害の片づけも出来ないでいるうちに、もっとひどい被害に見舞われた地方もある。
心が痛む。
2004年10月17日(日)
4週間ぶりに日曜日が晴れたとか……、暖かく気持ちのいい日。
恩師お二人と友人一人の4人が新宿で待ち合わせ、先ず食事をした。
恩師のご活躍には驚きを禁じ得ないほどであった。そして嬉しく思った。
その後、銀座の藤屋ビルへ友人の紹介で近藤知子さんの陶器作品展へ。
色合いがシックで素敵な作品が並べられていた。おっとりと話す近藤さんも
いい感じの人であった。
出光美術館で古九谷展を見た。黄色と緑の焼き物の色が何とも不思議な重さを
感じさせていた。
静かな秋の午後を気持ちのいい人たちと一緒に過ごせたことで和んだ。
2004年10月14日(木)
終日久しぶりに雨が降らなかった。
雲間からわずかに覗いた太陽はちょうど部分日食で、それをフィルムを
かざして職場のみんなと見た。
日食を生で見たのは初めてという人が多く、彼らはちょっと感動した様子。

昨日、今年も丹波の黒豆「紫頭巾」の枝豆が送られてきた。
早速今日茹でていただいた。相変わらずおいしい!
毎年、貴重な品をありがとうございます。
2004年10月10日(日)
小雨決行で、地区の体育祭。今年は残念ながら2位であったとか。
選手宣誓の時、主人は大声でやったという。そのせいか、応援のせいか例年通りに
声をからして帰ってきた。

久しぶりに自分が読みたくて本を買った。なんとも幸せな気分になれた。
ここ何年間か読まなければならなくて買った本ばかりであったからか。
新書1冊で幸せになれるなんて、あまりに人間が小さすぎる。

台風の爪痕が各地から報告されている。
被災された方々に心からお見舞いの気持ちを伝えたい。
2004年10月9日(土)
台風22号上陸。風雨が強かった。速度が速くアッという間に通り過ぎた感じ。
しかし、この台風もあちこちに住宅の被害を出させ、たくさんの人を不安に陥れた。
50年ぶりの大型台風とも言われた、勢力ある台風であった。

朝、9時に速達が届き臨床心理士への希望が断たれた。
正直、ホッとして嬉しかった。2次試験で不合格になるより1次ではっきりした方がいい。
自分に能力がないのだから、それ以上のことをするのはストレスになるだけだ。
願書を出したことで相当なストレスになっていたらしく、不合格になったら
気分がすっきりして、花粉症も軽くなったように錯覚したほど。
これで迷わず、自分の道を進むことができる。めでたい。
2004年10月4日(月)
1日雨。雨の中を久しぶりに歩いて職場へ。ゆっくり歩いていたら50分かかった。
気分は悪くない。雨の中から金木犀の香りがして、「秋」を感じながら歩いた。

4年前、オリックスから大リーグのマリナーズへいって活躍しているイチロー選手は、
2日に大リーグのシーズン最安打記録をうち立てた。86年前にジョージ・シスラー選手が
あげた267本の最安打記録を抜き259本。そして、3日は260本に。
シリーズ最終日の今日は262本の最安打記録!すごいとしかいいようがない。
おめでとう、イチロウー選手。
歴史に残る選手となるには、ただの天才だけではなれない。才能プラス努力が必要だ。
強靱な身体と心にするため、たゆまぬ努力で自信を付けてきたのだろう。
それにしても素晴らしい。
若い人たちが活躍しているのをみるのは嬉しい。
2004年9月29日(水)
9月17日開会式が行われ、18日から28日まで競技が行われたアテネでの
第12回パラリンピックは昨日、28日に閉会式が行われた。
過去最多である136の国や地域から、3800人の選手が参加。
日本勢はこれもまた過去最多のメダルを獲得。金17、銀15、銅20の計52個のメダル。
努力の賜物。

中秋の名月の昨夜、頭痛で横になりながら布団の中から明るい月を眺めた。
以前は果物やお団子、ススキを供えて家族でお月見した。
いつ頃からやらなくなったのだろうか。フルタイムで仕事を始めた頃からか……。

子どもの日には菖蒲湯、冬至はカボチャを煮て柚湯を沸かし、お彼岸には
おはぎを必ず手作りしていた日は遠くなった。時間にも気持ちにも余裕があったのだろう。
小さな子どもが我が家にいれば、またそんな日がやってくるかも知れない。
それまで、外に向けてとにかくやれるだけのことはやってみよう。

風邪だったらしく、きょうは痛み止めを飲まずにすんでホッとする。
どこも痛まない状態って素晴らしい!
2004年9月26日(日)
秋分の日が過ぎてから、台風21号や秋雨前線やらではっきりしない日が続いている。
暑さ寒さも彼岸までとは本当によく言ったものだ。
風邪か花粉症か更年期かその全てなのか、23日からの4日間の連休をごろごろと
して過ごした。もったいないが身体あってのことと、とにかく身体を横にしていた。
でも、治る気配がない。今日は頭痛がひどかった。
娘たちと餃子を作って食事会。後かたづけも助けてもらった。
長い年月生きていれば、こんな時期もある。
2004年9月22日(水)
明日はお中日なのにきょうも暑い。

春の杉花粉症に悩まされるようになってから何年くらい経つだろう。
昨年からは秋の花粉症になってしまった。
今年も1週間ほど前から始まった。とりあえず鼻炎用の市販の薬で症状を抑えていたが、
どうも薬の効果が薄くなってきたのか症状が治まらない。
いたたまれずに花粉症のために初めて耳鼻咽喉科へ行った。
鼻腔を洗浄し、アレルギー源検査のための採血をし薬を処方してもらった。

薬の効果は今のところなしに近い。
うーっ、しなければならないことがたくさんあるのに、顔面と気分がクシャクシャして何も手に付かない。
耳鼻咽喉科の医者いわく、「今年は暑い夏だったから杉花粉が育っているらしいよ。春の花粉症は
すごいことになりそうだね。」
春秋ダブルの花粉症を患うほど、柔な身体はしていないはずなんだけどなー。あーあ。
2004年9月19日(日)
30度を超えた暑い日。友人たちと日向薬師へ彼岸花を見に行ってきた。
もう盛りは過ぎてしまっていたが、稲刈りをしている田圃のあぜ道に赤く咲いていた。
バスツアーで来ている人たちもいた。毎年のように見に行っていたが、
ツアーの人たちに会うのは初めてのように思う。
歩いて下り、日向薬師の表門から登って来た。久しぶりに歩いた。

宮が瀬ダムでおしゃべりし、ソフトクリームを食べるために服部牧場に行った。
相変わらずのおいしさを堪能。
帰りに荻野運動公園によってコスモスを見る。気持ち早い気がしたがそれでも
色とりどりのコスモスが風に揺れていた。萩の花や芙蓉の花も見ることができた。

秋の花粉症に悩まされながらもくつろいだ1日であった。
それにしても、仕事柄もあるとは言え友人たちは健脚である。よたよたしている自分が恥ずかしい。
老化は足から……の恐怖におびえた日。
2004年9月15日(水)
佛大の通信学生のためのページが学生の皆さんのお陰で充実してきている。
たくさんの人たちが協力をしてくださり、本当に有り難い。
忙しく自分のことでも大変であろうに、他の学生さんのためになるなら……と
快く協力してくださる。その気持ちが嬉しい。
どの学生さんも真剣に学習して卒業していってほしい。

日中、30度を超す暑さでも朝夕はさわやかな秋を感じる。
新たな挑戦を開始。願書の受付をしたと返事が来た。
30倍の倍率ではとても合格することはあり得ないが、やってみるだけの価値はある。
ただ、2次試験まで行かず1次で不合格の可能性は大きい。
なんといっても英語力ゼロは致命傷だ。
しかし、やってみようと思える自分がいい。さらに挑戦できる環境にいることに感謝。

栃木県小山市で幼い兄弟が同居人に虐待された上、殺害された。
児童相談所では行方不明の段階では、「親元に帰したのは適切な判断であった」としていた。
しかし、状況を把握しながら踏み込んだ対処をしないまま、結果として二人の幼い命が奪われた。
児童相談所のあり方を見直さなければならない時期である。
2004年9月5日(日)
いつの間にか9月になってしまった。
日本時間8月30日未明には、202(史上最多)の国や地域からの参加をみたオリンピックの閉会式が行われた。
日本は金16個と東京オリンピックに並び、銀9個、銅12個と史上最多の快挙であった。
ハンマー投げの室伏選手の繰り上げ金メダルや、男子マラソンでは断然トップを走っていた
バンデルレイ・デリマ選手(ブラジル)が男性に妨害されるというハプニングもあった。
バンデルレイ・デリマ選手は妨害された後も走り続け3位となった。不本意な3位であったろうに
トラックでは投げキスをし、体中で喜びを表しており、見ていて気持ちのいいシーンであった。
今回のオリンピックに出場した選手には勝っても負けても精一杯やったという充実感があふれていて、
何ともさわやかな感じの残るものであった。
厳重に警備されたオリンピックであったようだが、まずは無事に終えた。

8月27日から8月30日まで台風16号の被害を受けたのに、また18号が沖縄に上陸している。
9月1日には浅間山の噴火。自然の力には無力な人間の力を思う。
自然に合わせた生き方が好きだ。

「冬のソナタ」という韓国のテレビドラマが好評であったようである。
EさんがDVDを持っているというので「どれどれ」といって借りた。
そのドラマに私を含めて家族全員関心はないが、とにかく流行ということで見ることにした。
最初、みんなで大笑いしながら見た。先が読めて、その台詞さえもそっくり先に言えることが
おかしいのであった。

家族は2話で止めたが私は9話、借りたもの全てを見た。
うーん、何が好評なのかちょっと理解できなかった。主人公の2人以外の人たちの気持ちや
演技の方がわかりやすく納得のいくものに思えたのであるが……。ドラマの見方を知らないのかな、私は。
主人公2人のどの辺りに感情移入が出来るというのだろう……???9話ではまだ理解できない。
2004年8月20日(金)
やっと金曜日が来た。
1週間、疲れたままとにかく出勤して仕事をした。
夕方になると頭痛がして、家に帰ると食事もせずに薬を飲み足だけ洗って寝てしまっていた。
朝になって散歩だ、掃除だ、お風呂だとバタバタして出勤。変なサイクルの毎日であった。
サービス残業をして夜10時過ぎに帰宅。気合いが入っていたせいか、今日は頭痛にならずにすんだ。

通信制大学生のためのHPもそろそろ限界かな。7月午後の情報がどこからも入ってこない現状。
情報が集まらなければ運営できないので、その時が来たら通信制大学の分のみ閉じてしまわなければならない。
自分では、やるだけやったという思いがある。ずーっと続けているサイトはやはりすごいな。
今度は社会福祉士についてのHPを作り、自分の勉強のために運営する方針というのがいいのではないか。
しかし、それにはまだまだ勉強不足かな。
2004年8月16日(月)
久しぶりの仕事。何事もなく平常の状態で始まり、終えた。これが大切なことである。
みんな、もっと夏休み中の経験や思い出を話したい様子であったが、昼休みは
瞬く間に過ぎ、話す時間がなく消化不良気分のように見受けられた。

掲示板の管理人としての力量不足を思い知らされた日。
2004年8月15日(日)
59回目の終戦記念日。
日本における戦争の記憶が遠くなるが、世界では戦争がなくならないどころか結果的には日本でさえも参戦状況にある。
どんなことをしても憲法9条を守らなくてはと強く思う。

夏休みが終わる。短かった……。9日間もあったのだから贅沢な夏休みであったのに、そう感じる。
朝から雨で肌寒く感じられ、40日間続いた夏日がひとまず終えた。
ほんとうに暑い夏であった。これからはひととき暑い日があっても日増しに涼しくなることだろう。
2004年8月14日(土)
柔道の48kg級女子では谷亮子選手が金、60kg級男子では野村忠宏選手が金。
日本では通算100個目のメダルを獲得した。
おめでとうございます!
谷選手の涙が美しかった。「田村で金、谷でも金」の言葉通り優勝したが、シドニーより
何倍も嬉しいと話す谷選手の気持ちが理解できた気がした。
彼女の言葉や仕草、表情はすっきりしていて、その辺りにはいつも清々しい空気が漂っているように
感じられ、テレビでしか知らないのにこちらまで浄化される気がする。

義父が夕方に来宅した。彼の着くのを待ってそのままお墓参りに7人で出かけた。
90歳の義父は本当に元気で有り難い。
相変わらずお酒を楽しく飲み、歌い、声高にしゃべって朗らかである。
床に伏せることなくぽっくりと逝きたいと言っているが、万民同じ思いであろう。
2004年8月13日(金)
第28回オリンピック、アテネで開催。第一回の近代オリンピックが開催された時から108年ぶりでのアテネ開催。
テロへの警備で北大西洋機構(NATO)軍などに守られたオリンピックである。
初めて女子選手の参加をみたアフガニスタン。韓国と北朝鮮は前回のシドニー大会に続き、「コリア」で同時入場をした。
文字通り平和の祭典であってほしい。

12日0時半頃家を出発し、5時頃妙高に着いた。妙高のSAで2時間半ほど、車の中で眠って疲れを取った。
妙高山は朝日に照らされて、変わらぬ姿で迎えてくれた。
8時頃に母のいる家に着いた。
子どもたちも連れて墓参りに出かけた。義姉の実家に立ち寄ってお茶をいただく。
元は実家であったので、娘が懐かしがっていた。
母のいる家でお昼をご馳走になった。
叔母の家で叔母と従兄弟の話などして赤倉温泉に向かったが、叔母が一緒でなくてほんとに残念。

Fさん、Tさんのクラスメートに会えて嬉しかった。
新井市がなくなって、合併して妙高市になるという話を聞いた。
こんな田舎町でも合併話が進んでいたのかと驚く。いや、田舎町だからこそか……。

昨年と同じ旅館、同じ部屋に泊まった。
昨年よりも小さくなった母は、体を任せて体を洗わせてくれた。
94歳になる母の老いを感じた日。
とにかく眠ることにして休んだ。10時間眠り、朝は元気に目覚めた。
妙高山のゴンドラに乗ったり、お土産を買ったり食事をしたりして母を自宅に送り届け、
よしはちの池に寄ってから家路へと向かった。
行きも帰りも渋滞に遭わずスムースに往復できた。

義姉に笹寿司を作ってもらったりしてお世話になった。感謝である。
2004年8月7日(土)
Nさん家族と山梨県へ桃狩りに行った。桃狩りというよりドライブをして桃を買いに行ったと
いった方が正しい。雨のために桃狩りが出来なかった……。
道中は頬が痛くなるほど笑い、おいしい桃をお腹いっぱい食べ、上野原の酒まん屋サンで
「魚まん(ととまん)」なるもの(酒まんじゅうの中に鱒の塩焼き風のものが入っている)を
買っていただいて食べた。まるで鮭おにぎりのような感じでおいしい。
帰宅途中、すさまじい雷とのドライブであった。

6時に待ち合わせた友人たちを2時間待たせ、その間飲んでいてもらって合流した。
久しぶりに会った友人たちは元気で、楽しいひとときを過ごした。
2004年8月5日(木)
家にあったスチール製の戸棚が3個とも主人の職場にもらわれていった。
スチール製の家具は家には似合わず、どこにおいてもちぐはぐであったので、リサイクルに
出そうと決めていたが、とにかく役に立てることになったうえに家が広く感じられてよかった。
気に入ってスチールの戸棚を買った主人は残念そうであったが、役に立つのだからと納得したらしい。
とにかく無駄なものは置かないのに限る。そうすれば家が片づくのだから。
2004年8月4日(水)
7月31日が満月であったようだ。明るい月夜が続く日々。
台風が過ぎてから朝夕涼しくなったように思う。

昨日、動物病院から電話があった旨を主人から聞いた。
ロンの手術をした病院からで、ロンは「扁平上皮ガン」であるという。
手術でガン細胞は取り除いたと考えられるが、転移・再発があるやも知れぬと言う。
ひいては、健康に効く「鮫のなんとか……」「アガリクスなんとか……」のえさが
あるという。高くつくがいかがかと。
とりあえず高く付く健康食品はお断りして、ロンの健康状態に注意していくことにする。
今のところは元気に見える。

夏休み中に田舎に帰り、母と叔母を赤倉温泉に連れて行ってやろうと予約した。
今年94歳になる母とはこれからどれだけ会えるか分からないので、
思いついた時に会っておきたい。元気でいる母に感謝。
母と一緒に住んでくれている義姉や甥家族にもっと感謝。
2004年7月31日(土)
台風10号の影響で29日、30日は天候が不安定であった。
きょうは暑いながらも風があり過ごしやすかった。
あの猛暑の日々の後である。33度くらいでは過ごしやすく感じられる。
人の体感温度は環境に左右されるのだと今更ながらしる。

1日の大半を布団の中で過ごし、本を1冊読んだ。
1冊の本を一気に読んだのは本当に久しぶりのことである。
こうしたことが大切だと思うのに、ずーっと読書をまともにしないでいた期間が長すぎる。
犬の散歩に行って、蝉の声をあびたり、夕飯を作ったり……。休日を実感。

主人が京都へスクーリングのために出かけた。
最後のスクーリング、楽しめるスクーリングであることを祈る。

憧れの10000アクセス達成。お祝いの言葉をいただき嬉しく思う。
見ず知らずの人たちとも繋がっている。せっかく繋がっているのであるからいい影響を
受け合いたいものである。
このHPに集う皆さんにありがたいことと心から感謝する。

みなさん、本当にありがとうございます!今後ともよろしくお願いします!
2004年7月24日(土)
22日から新高輪プリンスホテルでの「ヤマト福祉財団」主催のパワーアップセミナーに参加した。
準備不足で名刺を忘れ、それを取りに横浜から戻ったために5分の遅刻。
全く持って恥ずかしいことであった。
上司の気遣いに心から感謝。

セミナーの交流会の席では一番年齢が上ということで乾杯の音頭をとることに。
急にいわれたこんな場面でも、どきりともしない強い心臓の持ち主になっている私。いつの間に……。
このずうずううしさに喜んでいいのか、悲しんでいいのか。とりあえず楽なので年の功と喜ぶことに
しておこう。2日間、高輪プリンスホテルでの宿泊であった。

ヤマト福祉財団小倉昌男理事長はセミナーに出席されず、ビデオで講演を聴いた。
「福祉と経営の融合」「経営は理屈である」「発想の転換をして、先ず実践」「自分でよく考える」
など心に残った言葉である。

営業をして仕事をどんどん増やしてこその作業所であるということが体の中に浸透した感じ。
なんとか「稼げる作業所」を「経営する」という意識を職員、所員の全員が持って「作業所経営」を進めたい。
所員の平均月収5万円を目指したい。

駅に降りたら、「大和阿波踊り」が始まったところであった。
何年ぶりであったろうか、まとめて何組かの踊りを見たのは。踊りのうまい連が今年は私にもわかり、
お気に入りの連を見つけた。ちびっこ、少年少女、青年が多くどの人も上手でこれからが楽しみなことである。
2004年7月21日(水)
昨日、今日と記録的な暑さが続いている。
東京39.5度とのことである。
頭痛がするほどの暑さ。からだがだるく、水ではないものがほしい。

昨日は自費出版された方に招待を受け、かに料理をご馳走になった。
お酒もいい気持ちでたくさん飲ませていただき、久しぶりにすっかり酔ってしまった。
素敵な方たちに囲まれて、ちょっと日常とは違うおしゃべりを楽しみながらのお酒だったので
料理もお酒もおいしかった。水ではないものを飲んだ訳か……?

明日は「ヤマト福祉財団」主催のパワーアップセミナーに参加するが何の用意もできていない。
2004年7月19日(月)
近くにいる友人と久しぶりに食事に出かけた。
しょっちゅう会っている気がしていたのに、一年以上3人一緒には会っていないという。
えーっ、そんなに会ってないんだぁと驚く。
相変わらず、おしゃべりしていれば気が済む私達は、ひまわりを見に出かけたがまだ咲いていないため、
諦めて車の中でおしゃべり。
食事の後の買い物の時に肉を買ったために、身動きがとれず結局おしゃべりだけで帰宅。
なんと安上がりな楽しみ方!こういうのもありだ。
2004年7月18日(日)
11時に新宿アルタ前で待ち合わせ。
暑い日だが、ちょっとドキドキしながら待っていた。
白い日傘を差したTちゃんがニコニコしながら現れ、会えたんだーと嬉しかった。
ビールを飲むには時間が早いので先ず喫茶店でコーヒーを飲みながらずーっとおしゃべりしていた。
昼食時となり、ビールでまずは乾杯ということで別のお店に入って、「3時でお昼はラストです」と言われるまで
知らずにおしゃべり。滝沢という喫茶店に席を移して夕方5時半までおしゃべり。
「かに道楽」にいってまたビールを飲みながら今度は夕食。まあ、食べるわ、飲むわ、しゃべるわ……。
ほんとに何の気兼ねもなく、安心してただただ嬉しく楽しんだのであった。
Tちゃんの類い希なる「居心地の良さ」にすっかり酔い、性格の良さがにじみ出ている彼女に甘えた日であった。
ありがとうTちゃん。また会おうね。
2004年7月12日(火)
11日の昼過ぎに雷が鳴って強い雨が降った。
このあたりは停電。イヤな予感が的中してパソコンが立ち上がらなくなってしまった。
気分はいじけて、今日やっとパソコンやさんに行ったが、いつも通り異常なし。
帰宅してからどうも電圧が低いようだということが判明した。対処の仕方もわかりとりあえずホッとした。

同窓生から電話や手紙やメールが届いている。「味来」というトウモロコシをいただき初めて食べた。
おいしかったぁー!

屈託のある毎日。これも人生かなと思うこのごろ。
2004年7月11日(日)
9日金曜日から10日土曜日まで研修旅行であった。長野県の水内(みのち)荘という法人の入所施設
で話を聞いた。
田中知事が頑張って福祉に厚いと言うことであった。
障害を持つ人たちが長く施設で暮らしていたが、今は少しずつグループホームで暮らし始める体制を
作っていると言うことであった。年齢層が高くても地域で暮らし始めた障害を持つ人たちは、誰ひとりとして
施設に帰りたいという人がいないと講師の方が喜んでいた。昼間の活動場所を確保するために作業所を作ったり、
職場を確保したりしてはいるものの、なかなか大変なため、ネットワークを密にして取り組んでいるということ
であった。施設の中で生活が完結されていた時とは違い、援助するにも幅広い知識やネットワークが必要と
されている。さまざまな取りくみを積極的に行っていることが窺えた。

障害を持つ人たちが地域で暮らすには、まだまだ強い偏見と闘わなければならないことを知る。
自分の隣にさえ住まわなければ、諸手をあげて賛成だが、自分の隣に住むのであれば話は別。
絶対反対!ということで民生委員まで反対の立場に立つということであった。
もっとも、民生委員は「住民の立場に立った人」であるわけだけれど。

他の作業所の職員の方たちとも作業所のあり方などについて話すことができ、充実した交流ができた。
2004年7月4日(日)
久しぶりに友人夫妻と4人で「飲む」話が、おじゃんになった。
また今度ということで期限なしの延期になった。
こうしたドタキャンには「勘」が働く方である。

昨日の朝から今日の終日までずーっとダラダラ、デレデレ、ゴロゴロと過ごす。
障子貼りはどうした?と自分に問いかけてもむなしいばかり。
ほんとうは布団の上でずーっと寝ていたいのだがそうもいかない。が、起きても
何もしない。ロンの散歩に行っただけ。

同窓会の写真があちこちから送られてきた。楽しかった時間がよみがえる。
写真を焼き増しに出したので、一筆箋で2枚だけの手紙を36名分手書きして少し準備した
のだが手がしびれた。ヤワな私である。しっかりせーよ!
2004年7月2日(金)
久しぶりに友人と会った気がする。
相模原の道保川公園に蛍を見に出かけた。ネットで調べたら、6月20日で蛍祭りは終わり、
公園は平常通りしか開いていないということであったが、とにかく出かけた。
蛍はほわぁーっとしたあの光を見せながら飛んでくれていた。
あの広い公園で、10数匹ほどしか確認できなかったけれど、幸福な気分は変わらない。
諦めていたけれど今年も幽玄の世界に一瞬浸ることができた。
2004年6月29日(火)
日本福祉士会に入会の手続き用紙をもらい書く。
明日送付の予定。勉強しなければ始まらないとちょっと気持ちが引き締まる思いである。
納得のいかないことに惑わされず、自分を見失わずにいたいものである。

梅雨の中休みとかで暑い毎日。この暑さの中、職場の仲間はポスティングに出かける。
ほんとうに大変なことである。
やっぱり営業に出かけなければならないかな……。
2004年6月27日(日)
きょうもひとりで家の片づけ。
始末をするべき家具は、いつでも持ち出せるように用意ができたし、階下に持ってきた
洋服と布団を2階に運べばいいだけになった。
夕方、食事も用意した。
やるじゃん、私。
疲れがとれれば、ホレ、この通り。働くのである。
だけど……、家族ももう少し手伝ってもいいと思うんだけどねー。

台所、それに続く部屋、その他の部屋という部屋は全て窓が2カ所ある。明るさは
抜群だけど手入れが思うに任せない。猫が破る障子でお化け屋敷そのものになっている。
来週は障子貼り。障子は6部屋あったが、今回から3部屋張ればいいだけになったので
気が楽になった。
2004年6月26日(土)
仕事の方が片づいたので、今度は家を片づけるぞという気になった。
やる気になって工事後の後かたづけをした。汗だくになった甲斐があり、かなり片付いた。
ひとりで黙々と夕方まで作業したお陰で洗面所の棚には細々としたものが収まり、押入にも
それなりのものが納まり、家具もそれぞれの位置に落ち着いた。
食事も取らず、水分だけでめいっぱい働いたので疲れてしまい、夕食は近くのお好み焼きや
にいって食べた。
うーん、ビールがうまいねー!
2004年6月22日(火)
朝、8時まで眠ったロンはすっかり元気になり、散歩の後に薬の入ったパンにむしゃぶりついた。
水も好きなだけ飲ますことができ、こちらもホッとする。
昨夜、アンがロンに「ごろにゃん」していた。ロンの家にいたくらいだから、ロンのことが
大好きなんだろう。ロンは当惑気味。
台風一過の晴天日。暑かった。
2004年6月21日(月)
朝、娘と一緒にロンを病院に連れて行った。
「ほえますか」と聞かれたので、「いいえ、ほとんどほえないので番犬になりません」と
答えた。すぐに鎮静剤を打たれ、「もう帰って結構です。何か問題が起きない限り連絡を
しませんので明日の午前中に迎えに来てください」「はい、よろしくお願いします」という
会話をして職場に向かった。

午後4時過ぎに病院から職場へ電話あった。
すわっ、緊急事態発生かとドキドキしてしまった。
手術は成功したのですが……といわれ、でもだめだったの?と考えが先走るが
じっと耐えて獣医の話の続きを待つ。
「ほえて困るので、今夜8時までに引き取りに来てください。」
はーっ、元気だったんだ。やっぱり家がいいんだね、と迎えに行く。

台風6号が通り過ぎた夕方7時頃に動物病院に迎えに行った。
ロンの鳴き声は全く聞こえない。なーんだ、大丈夫じゃない。
泊まらないから少しは料金は安いかも……、ちょっぴり期待する主人にそんな訳ないわよと
反論しながら順番を待つ。

麻酔が効かず、追加したら呼吸困難になり、強心剤を打つとやっぱり麻酔が効かなかったが、
後になったら効いてきたとのお話。麻酔が効くまで少し待ってくれたら良かったのにと
ロンが気の毒であった。もちろん料金は規定通りで安くはならなかった。
お泊まりがない分、麻酔剤や強心剤が余計にかかったのかな。

帰ってきたロンはよくほえた。まず、トイレに行きたかったようだ。
これには応じられた。次はお腹の調子を崩したようだ。これにも応じられた。
夜、2時頃まで4から5回ほど散歩に行った。
しかし、水をほしがることには応じられず、玄関で一緒に寝てやったら落ち着いて
黙って眠った。よく頑張ったね、ロン。
2004年6月20日(日)
暑くて蒸したが、風が吹いていたので家の中にいる分には過ごしやすかった。
防音工事の後始末をしたい、しなければと思いながらだらだらと過ごす。
怠けているのではなく、体が休むことを要求しているのが分かる。

久しぶりに布団を干し、ロンを洗ってやり彼のハウスを家に運んで来た。
工事中ずーっと目前の畑にロンをおかせてもらっていたのである。ほんとうに
有り難いことであった。
ロンの首のできものがひどすぎる状態になってきたので病院に連れて行った。
明日、手術ということになった。
ロンはそれを知らず、やっと家に帰れたので安心しているようだ。アホ犬だが
愛すべき犬である。
2004年6月17日(木)
6月12日。待ちに待った同窓会の日。
早く寝て、同窓会に備えようとしたが無理で、睡眠時間3時間ほど。
それでも興奮してか電車の中でも眠らずじまいで、湯河原駅に降り立った。
「湯河原駅」というアナウンスに、鼓動が聞こえるほどドキドキしている自分に
気づき、笑いながら「相当喜んでいる」と一人ごちた。

待ち合わせ時間を2時間も勘違いしたため、駅で行き来する人を観察したり
本を読んだり、同じように待ち合わせの人と話したりして、「待つ」楽しみを
満喫。なんといっても必ず来てくれる待ち合わせなので、全く退屈もしない上に
楽しくて仕方ないのであった。

まず、予想通り恩師が降り立ち、次にまた恩師、次にクラスメート、またクラスメート
と7人そろったところでタクシーで旅館に向かった。
旅館にYさんが静岡から尋ねていらして、ご主人がみんなの写真を撮ってくださった。
ご夫婦揃って「人」としての鏡である。いつも敬服している。
そうこうしているうちに、名古屋方面からの10名が揃った。一層にぎやかになり
話す声も聞こえないほど。
みんな変わりなく、どの顔も輝いていて自信に満ちて生きていることがわかり、
嬉しくて、有り難くて、自慢で、ただただ楽しく過ごすことができた。

参加できなかった人たちに電話をするつもりでいたが、ちょっと体調を崩しその時間が
なくなってしまい、申し訳ないことであった。
そのぶん、会えた人たちとのおしゃべりは尽きることがなく、お風呂でもお食事中も
ずーっと話せたことで満足度150%!

翌日14日は不動滝を見て万葉公園まで歩き、公園をざっと見て厚生年金会館で
バイキングの昼食。これまたずーっとおしゃべりし通しであった。
西と東に分かれて乗った電車が2時42分で同じであったが、実際は西の人たちを
見送ることができた。
帰りは恩師とおしゃべりしながらお茶の店と食事の店をはしご。二人で3時間半くらい
話していた。うーん、満足!

みんな、ありがとう。遠くまで足を運んでくださって、心から感謝します。
どうぞお元気でいて下さい。4年後にまた是非お会いしましょう。
同窓会のことは「思いつくまま」にいつか書くことにします。

と気分良く帰宅したらパソコンが起動せず、どうにもならない。
おまけに仕事が残っていたのを思い出し、お疲れ度がどっと上がった。
なんとかきょう17日の夜、なぜか起動したのでこれを機に日記やらを書き残さねばと
あわてて書く。
仕事も、今朝なんとかそれぞれ形になりほっとする。疲れ限界である。
2004年6月6日(日)
近畿、東海、関東梅雨入り宣言。
アッという間に6月も6日になってしまった。
ひたすらボーッと過ごす。

小学生6年生の少女による同級生殺害事件。年金法案強行採決。
考えたいことがあるのに、気持ちが動かない。
6月12日の同窓会のくるのをぼんやりした気分で待っている。
しっかりしなくちゃ!
2004年5月30日(日)
娘たちと近くの銭湯に出かけ、車から降りて歩いていると名前を呼ばれた。
振り返ると友人のYさんが笑っていた。
ほんとうにひさしぶりで一緒にお風呂に入ってずーっと話していた。
楽しかった。近くにいるのになかなか会えない。
穏やかな感じのご主人のようで、こちらまで嬉しくなる。
よかったね、Yさん。

我が家は今年の秋にイベントが予定されたらしい。
とにかく二人で仲良くやってほしい。
それだけが願いであり、そのための協力は惜しまない。
2004年5月29日(土)
沼津へ結婚式に招待されて出かけた。
きれいでお似合いの二人であった。
久しぶりに兄弟や従兄弟、伯母にも会えた。
主人の運転で沼津へ、帰りは兄たちを家まで送り、飲んだ主人と帰宅した。

みんな元気であったとは言い難く、なんともつらい思いであった。
2004年5月28日(金)
若い二人は夫婦として向き合い、「生活」するという姿勢ができていない気がする。
自分の主張だけして、自分以外の人の主張を認められない様子。
きちんと言わなければと意を決して話した。
あまりに暴言を吐く時は叱った。
話はわかってもらえたんだろうか……。

結婚式用の服を探した二日間。新しく買わずに持っている洋服を着ていくことに決めた。
何を着ても変わり映えしないせいなのか、必要に迫られてから買い物をする癖は直らない。
ウインドウショッピングは苦手。

昨日、今日と娘の家にもらい風呂。お風呂の完成が待たれる。
2004年5月22日(土)
昨日21日に家を出て、友人夫妻と今年も信州に一泊の旅をした。
友人夫妻が半年以上も前から計画してくれた、早太郎(はやたろう)温泉へ。
おもしろい名前だが早太郎という犬の名前であるそうな。

往復初心者マークがまだとれない主人が運転をつとめた。
自信を付けたようなので、ふるさとの新潟へも車で行けるなと期待している。

21日は朝、友人が台風の中横須賀から家まできてくれた。
我が家に彼たちがついた頃は雨も風もやんでいた。
車をうちのに乗り換え出発。
東名で御殿場に出て、富士五湖道路を通って中央高速で伊那へ行き、
みはらしファームで食事や買い物、台風一過の晴天のおかげで、青い空にくっきりと
パノラマの山並みが近く見える「みはらしの湯」(羽広温泉)に入ってくつろいだ。

駒ヶ根ICから宿の「ビューホテル四季」へ。
しっとりした和室が予約されていた。
各部屋から庭が見えるように造られていて、贅を凝らした感じであった。
角部屋で庭も広く見え、随所に凝ったあとがみえた。
露天風呂が工事中で外が見えないからと、真向かいにある「こまくさの湯」の
お湯券をいただいて、夕食前に入りに行った。
女性の風呂にはこまくさが2株咲いていた。いつ見てもかわいい花である。
でも、そこでアオダイショウと思われる蛇に出会ったので、すっかり意気消沈。
気を取り直して、地ビールでのどを潤した。
夕食はフランス料理と和食のミックス。食べきれず残した。

22日はバスとロープウエイで駒ヶ岳へ。憧れの千畳敷に立ってきた。
残雪の千畳敷もいい。花畑も一度は見てみたいけれど。
アルプスを臨むことはできなかったが、宝剣岳はくっきりが姿を現してくれたので、
早速シャッターを切り合った。
駒ヶ根ファームで食事と買い物をして一路、高遠城址にほど近い「フラワーポケット」へ
アストロメリアの花狩りへ。クリスマスに向けての準備のために、花はほとんどなくなっていた。
それでもほしいだけの花は切ることができた。ハウスはおしまいなので料金は安く、お得な気分。

友人夫婦ともゆっくり話す時間が持てた。
とにかく、お互いに体を労って生活しなければならないと改めて思う。
時間を見つけて、「思いのまま」に思いついてことを書き記しておきたい。
2004年5月13日(木)
このままだと病気になりそうだ。
なんということはないのだが、体がだるく、気持ちが前に出ない。
何もしたくない。何かしようとするととても億劫に思える。
体がしゃっきとせず、すぐに姿勢が崩れる。
体をとにかく横にしておきたい。

家のこと(職人さんの3時のお茶など)は娘に改めてたのみ、職場では
職員にいつもの自分ではないと話して、理解してもらった。

ずいぶん気持ちが楽になって、仕事への取組の意欲が戻ってきている。
ホッとする。
みんなに助けてもらって生きていることを実感する。
2004年5月11日(火)
職場で独楽寿司さんからご招待を受け、みんなで独楽膳 つきみ野店に出かけた。
おいしいウニ、ぷりっとしたエビ、大きな生牡蠣、ついつい手が出る大トロ、
柔らかなエンガワなんて初めてだ。
抹茶のアイスクリームがこれまたおいしくて……、もう、お腹いっぱいなのに
目がまたほしがる。
寿司のうまさを堪能した日。
ありがとうございました。ごちそうさまでした。
2004年5月9日(日)
母の日。今年も真っ赤なカーネーションの花束をもらった。ありがとう!
おいしいシュークリームももらった。ありがとう!
若かった頃は女性であることがつまらなく思えて、生まれ変わるなら絶対に男性だーっと
思っていたが、今は女性で良かったとおもう。

6日から始まった防音工事は順調に捗り、日曜日の今日も大工さんが来てくれて一応
一区切りついたようである。早くてきれいな仕事をしてくれて気持ちがいい。
まずは2部屋の防音はできたので、壁を塗ったりふすまを入れたりとまた違う人たちが
出入りすることになる。

昨日9日は大和祭りで引地台公園に大和市作業所連絡会がテントを出しているので
手伝いにいった。12時半には焼きそばやフランクフルト、冷やしうどん、弁当、ジュースや
ビールなど全て売り切れた。やったね!
トマトとナスの苗と花をいく鉢か買って、娘の土産にした。
自分用には落花生を買い、きょう全部平らげた。む、む……、また必要ない食欲が……。
2004年5月5日(水)
こどもの日。菖蒲湯もわかさずじまい。
明日から防音工事に取りかかるので、とにかく2階の2部屋を押入に至るまで空にした。
午前中は、やる気がなくコーヒーを飲んだり、別に見たくもないテレビを見たりして
ぐずぐずと過ごす。大工さんが来て、「明日から取りかかります」といわれたので
あわてて片づけ始めた。ヤレヤレ、何とか間に合った。
レポートの締め切りと試験を9日に控えている主人にも最後まで手伝ってもらい、
時間を片づけに使わせて申し訳ない事であった。

お友達数人で集まって「卒業祝い」を名目にして「飲もうか」という話が大きくなって、
同窓会の趣になった。
あちこちに連絡して、高校時代のクラス全員の所在がわかった時は達成感さえ感じた。
お友達のネットワークを使ったり、ご実家を探して電話で聞いてみたり……、
すごい事だと我ながら自慢したい気分。ずーっとあの人はどうしているだろう?
と思っていた人にもコンタクトできた。本当に嬉しい。

それぞれの人生を歩いてきて、37年間一度も連絡なしの人を探し当て、
電話をした人が何人もいたが「まあ、どうしたの?」とあたかもいつも連絡しあっていて
今日は何か用事なの?といった感じの応対の人もいて笑えた。
それがクラスメートのいいところなんだと思う。どの人も聞き覚えのある声でホッとしながら
話す事ができた。いいねー、お友達。
会えるねー、懐かしいみんなに。楽しみー!!!
2004年5月3日(月)
憲法記念日。思う事が多いが言葉にならない。
いつかきちんと考え書き残さなければならない。

テレビで、憲法9条について改憲か護憲かという事で討論をしていた。
中・高校生をオブザーバーにして。
子どもたちが聞いている番組なのに、改憲派は国会議員、護憲派は
民間人(一人は元国会議員)で二人ずつに分かれての討論であった。
護憲派のお一人の手がぶるぶる震えているのが画面からでも分かった。
緊張されていらしたのだろう。

討論番組なのにあまりにその弁論に隔たりがありすぎて、討論になっていない感じで
見ていて不愉快であった。対等に渡り合える人を選ばなければ番組の意義がないのでは
ないかと思う。
2004年5月2日(日)
職場の仲間に人数あわせに麻雀に誘われて出かけた。
少しはできると思ったのに、一度も勝てずビリであった。
よく肥えた鴨が葱を背負って出かけたいったという構図。情けない。
何も賭けないから負けたのではなく、単に下手なんだろう。
肌寒くて体が冷えて体調を崩した。夕方5時頃に早々に退散。
2004年4月29日(木)
みどりの日。今日から7連休!でも、きっとアッという間にすぎちゃうんだよねー。
家族で誰よりも長ーいお休みなので、気分はゆったり。
Sさん宅におじゃまして庭に咲いているという「クリスマスローズ」を
見せていただいた。いま、人気のある花であるらしい。
幾種類ものクリスマスロースがあるのには驚いた。ブームになる前から気に入って
育てていらっしゃるようであった。奥ゆかしい感じのする花である。
他にもいろいろな花が咲いていたので、去りがたかった。
お昼をご一緒して、楽しい時間を過ごした。
2004年4月25日(日)
今年は2週間遅れでKさん宅に伺った。
卒業し、国家試験にも合格したという事でお母様からお祝いをいただいてしまった。
恐縮である。
おいしいご馳走をお腹いっぱいいただいて、楽しくおしゃべりをして帰宅した。
ずっとお元気でいてほしい。

ちびはストレスのためか粗相をするので、たまりかねてトイレと砂を買ってきた。
なんとかこれで粗相が止まってほしい。
ミーの姿を見ただけでうなっている。どうしたものやら……。
2004年4月24日(土)
昨日とはうってかわって平年より寒い日であった。
久しぶりに朝帰りした主人が駅まで車で送ってくれたので、ロンの散歩も
済ませてから、スーパーの招待旅行の抽選に当たり、一人で日帰り旅行の
ツアーで山梨県に行って来た。

ハナミズキとツツジ、山吹の盛りにバスの客になったが、乗っている途中から、
山藤、八重桜、芝桜、花桃、桜、レンギョウ、ユキヤナギ、木蓮等……と同時に
咲いているところを見る事ができた。
芽吹き始めたばかりの富士山の麓は、やわやわとしたうす緑の濃淡の中に
桜の淡いピンクが彩りをそえていて、青空にそびえる秀麗な富士山と共に
自然の美を堪能させてくれた。
今年もまた、春を2度体験し、贅沢を味わった。

お天気に恵まれた旅であったが帰路では雪がうっすらと積もっているところが
あったり、水たまりに夕日が映っていたりしていた。
雪や雨が上がった後に通過するという、ラッキーな旅であった。

宝石風呂というお風呂に入り、トルマリン効果を得られたかな?
薬湯などの内風呂もよかったがやはり露天風呂がすき。
露天の宝石風呂では、青空とツツジの花と、緑やピンク、紫、黄色などの宝石に
囲まれてリラックスし、檜のお風呂に入ってその香りにくつろいだ気分になれた。
トルマリンの泥パックを無料体験し、シッケというシャーベット(糀が入っている)を
初めて食べたが、優しい甘さにはまりそうである。

少しずつ、あのだるさから解放されつつあるのを実感している。やはり花粉症からの
ものであったようだ。
2004年4月21日(水)
昨日も今日も夏の暑さである。
だるくて眠くてやる気がなくて……、思考も体もうまく動かないこのごろ。
手紙を書かなければならないところも多いのに一向にはかどらない。
便せんを取り出してみても、はがきを前にペンを握っても文章が浮かばない。
する必要がある事なのに体も気持ちも逃げている。

とりあえず仕事に行って、とりあえず家事をして、とりあえず犬の世話をしてと
やるだけで1日が終えてしまう。
テレビも見ず、本も読まずに日が過ぎていく。
今はとにかく休んで、1日中寝ていたいような気がする……。

イラクの人質問題に対する訳の分からない批判とか、取りざたされている年金問題とか、
明日22日の小規模作業所の全国集会に対する思いとか考える事は山積しているのに、
思考回路が塞がっている感じで、言葉もうまく出てこない。

体を休めて、次のやる気の波に備えておくとするか。
だけどやる気の波を待っていていいのか?私。
2004年4月11日(日)
卒業と国家試験合格おめでとうとたくさんの方からいろいろなプレゼントをいただいた。
セーター、バッグ、花束3束、本、手作りの小物入れやロール紙入れ、お酒……。
ほんとうにありがたい。私からありがとうの贈り物をしなければならないのに……。
でもその気持ちを有り難くいただくことにする。
みなさん、ありがとうございました。

金曜日は職場の人たちからお祝いの乾杯をしていただいた。ありがとうございました。
ベロベロになるほど久しぶりに酔った。土曜の午後まで体にお酒が残って二日酔い。
二日酔いから来るだけでなく、家でも心にかかることがあり、胃が痛む。
胃が熱を持っているように感じ、冷やしたら少し楽になることを発見。

防音工事がまだ続いていてどうも落ち着かない。日曜日の今日もサッシやさんと
塗装屋さんが数時間ずつ入った。まだ、電気屋さんなどがこれから入り、いったい
いつになったら終わるのだろうと思わせられてしまう。
2階と下の玄関や水回りの防音工事も5月には始まるが、煩わしさと忙しさが思いやられて、
今から気が重い。
2004年4月6日(火)
花は寒暖や風雨と太陽に翻弄されながらそれでも美しく咲いて、散り始めているが
昨日の入学式には満開の花の下をルンルンとスキップしながら歩く新一年生の姿を
見ることができた。Mが「入学式なんだね。桜が咲いていてよかったね。」と言ったが
本当にそう思う。文字通り弾んで歩く姿がなんとも愛らしい。
木々は小さな葉を開き始めて、森や林は若葉の淡い色で柔らかな感じに見える。
とうとう今年は「かたくり」を見ないままの春を過ごしている。忘れ物でもしているような
気の抜けた日々を過ごすこのごろ。何が足りないのだろう。

Kがバイクで昨日の5日朝事故。Kも相手の方も大けがではないようなのでホッとする。
自分の体は自分で守らなければとつくづく思う。
それが意外と難しい。

4月3日は前自治会長の通夜、4日は告別式であった。4日は冷たい雨で2月に逆戻りした
ような寒い日。主人は2日間お手伝いに出かけていった。
4日の寒さは丹沢山系に雪を降らし、5日の晴れた空に雪の山が光っていた。
2004年3月31日(水)
社会福祉士の国家試験合格発表。
職場でみんなとインターネットで確認した。あった!私の受験番号。
うれしい、ほんとうにうれしい。
みんなが拍手でお祝いしてくれた。
まず、家族に報告した。帰宅しながら携帯であちこちに報告。
家では外食の話も出たが、家で食事しワインで乾杯。

卒業したことでいろいろな方からお祝いをいただいて、嬉しいやら
申し訳ないやら……、本当に有り難いことであった。
国家試験合格が、お祝いへのお返しになるような気がしてうれしい。

鈴虫寺のお地蔵様、ありがとうございました。合格の願いが叶いました。
京都でお祈りした神社仏閣の神様仏様、ありがとうございました。
願いが叶いました。
2004年3月28日(日)
3月25日の佛教大学通信制の大学院学位記・卒業証書授与式に参加。
総勢911名の修了生・卒業生がおられたと聞いて驚く。謝辞は社会福祉学科の卒業生が
読まれた。社会福祉学科の卒業生が一番多く500人以上であった。

会場を暗くし、お香のくゆらぐなか、白のブラウスと黒いスカートで合計5組の女性たちが
しずしずと左右から一人ずつろうそくを捧げ持って正面の祭壇へ供えていく。
次にお花をもった女性たちが3組祭壇へ。
続いて厳かな雰囲気のなか式次第に沿って進む卒業式。
写真撮影の後、割り振られた教室の控え室において、一人ずつ卒業証書をいただいた。

卒業できました!
ありがとうございます。

夕方から知恩院にお参りに行き、南禅寺近くの料亭へ関東ブロックのお祝いの席に
参加させていただいた。
これがまたすばらしい席であった。計画してくださった方々の人柄の良さがそのまま
現れているものであった。誘ってくださった友人にも心から感謝した。
二人の学友と私たち夫婦の4人で「京のれん」で楽しく飲む。
ハッピーアワーとかでめちゃめちゃ安く飲み放題。楽しいので全く酔わないまま、
宿泊所の門限が過ぎ閉め出され、玄関から電話をして開けてもらうハプニング。

26日は京都見物。松尾神社から鈴虫寺へ。一年中鈴虫の鳴く寺である。
わらじを履いたお地蔵様が幸福の宅配をしてくださるとのことであった。
お守りを買い、もう決定しているであろう国家試験の合格を祈願。
お地蔵様、よろしくお願いします。
苔寺は予約制とのことで、電話をかけて尋ねてみたら、木で鼻をくくる失礼な
男性の応対であったと、日頃温厚な主人が気分を害していた。
苔寺もお寺であれば、応対したその人も仏に仕える人であろう。まだまだ
修行が足りないと見える。
鈴虫寺から天龍寺まで歩く。偶然、卒業式に一緒に参列した学友と会う。
夕方、清水寺のライトアップを見ようと出かけたら、第2次は3月27日からとの
ことでがっかりしたが、高台寺のライトアップを見ることができた。桜もライトアップ
されていて、3分から4分咲といった感じでこれからが見頃。しだれ桜が満開で
きれいであった。
高台寺の階段を下りてきたところで、路地から観光客を従えた舞妓さん二人が現れた。
階段は幻想的に、竹は青々と開き始めた桜をも照らすライト、見上げれば八坂の5重の塔と
月は三日月。はっぴを着た若い男性が引く人力車に舞妓さん。
それらはまるで映画のワンシーンのようであった。

天龍寺で、無料電話キャンペーンのモニターにと誘われ応じたところ、
27日の京都新聞の朝刊に名前入り、写真入りで記事になっていて驚く。
初めてのことであり、本当にいい記念になった。

27日、名古屋でY先生と友人4人と会う。
みんな変わらずにいてくれて本当に嬉しい。そしてそれぞれに活躍していることが
私の自慢である。みんなから卒業のおめでとうの言葉をもらう。ありがたい。
Y先生は、あまりに体重増加した私を案の定識別できなかったようである。
体が細い時もあったんだよー、私にだって。といってみてもせんないことか。
みっちゃんからホテルガーデンパレスに宿を取ってもらい一緒に泊まった。
ゆっくりとおしゃべりを楽しみながら食事をして、深夜まで話は尽きないのであった。
気のおけない友人がいることが有り難く感じられた日であった。
昨年末退職した職場の仲間が名古屋にいるので、連絡しておいたところ電話をくれた。
お元気な様子でホッとする。幸せになってもらいたいと思う。

きょうは、みっちゃんとゆっくり朝食を取り、ぶらぶらと歩いて栄駅まで行くことに決めて
歩くこと20分。どうやら駅と違う方向に歩いていたらしい。
行く方向を修正して歩いていたら、桜の咲いている若宮神社があった。
そこで松月流?の華道展をやっていたので寄ってみた。「木」を中心に活ける流派のようで
みごとであった。茶会の券もいただいてご馳走になった。風流な寄り道となって二人で喜んだ。
オアシス21という空間に寄り、栄駅から名古屋へ。京都から乗った主人と同じ新幹線で
帰宅した。

25日からきょうまで究極の晴れ女という感じで、天候に恵まれ、京都・名古屋から
無事に帰り着いた。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
2004年3月21日(日)
晴れたので、防音工事を進めて欲しいと思っていたら、一人のサッシやさんが来てくれた。
作業が進み、24日までに終えそうなのでホッとする。
日曜日はサッシやさんがお休みと聞いていたので、アプレで西田さんに髪をカットして
もらいついでに染めてもらう。西田さんのカットは相変わらず見事である。

主人、科目最終試験。大して勉強もせずに試験会場に行き、「どうだった?」の
問いに、「うん、何とか書いた。」と淡々としている。
勉強しないのは同じだったけれど、試験を終えるといつも合格するかを気にしている
私とは大違いな気がする。

お墓参りに行った。あちこちでソメイヨシノではないけれど、たくさんの桜を
見ることができ嬉しかった。
介護保険やその利用の仕方がまだまだ把握されていないことを知る。
2004年3月20日(土)
イラク戦争が始まった日から1年。
世界で反戦デモがあったようである。
デモに参加したかったが、防音工事のため家を空けることができず、参加できなかった。
おまけに雨のため防音工事もできず、中途半端な気分でボーっと過ごす。

昨日、Mちゃんから卒業祝いにと花束が贈られてきた。
また、職場のHさんから木工手作りのロールペーパー入れや小物入れを
いただいた。これが二つとも「猫」がデザインされている。
みんなに見せびらかしたいほどかわいくて素敵だ。
お世話になったのは私の方である。
ありがとうございます。感謝しています。
2004年3月15日(月)
卒業決定を職場のみんなに話し、みんなから「おめでとう」とたくさんの
お祝いの言葉をいただいた。有り難いことである。心から嬉しい。
ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます。

11日、西宮に住む友人Eさんから今年も「イカナゴの釘煮」が送られてきた。
相変わらず上手に作ってあり、おいしい。
忙しい上にたくさんの人に作ってやっていて大変であろう。
でも大好きなので本当に嬉しい。ありがたくおいしくいただいている。
熱々のご飯に釘煮さえあれば、ご飯を思わずおかわりしてしまう。

町田に住むSさんからいただいた台湾のお茶もこれまたおいしくて、
香りも色も素敵である。ご飯と、釘煮とこのお茶があるため、ダイエットが台無しに
なりそうで注意をしている。
お茶の色も味もよくて、飲むのがもったいないみたいと言いながら家族も喜んで飲んでいる。
なにかと嬉しい春だ。
2004年3月14日(日)
私にも春が来た。
大学から卒業決定の通知が速達で送られてきた。
晴れ晴れとした気分。うれしい。
みなさん、本当にありがとうございました。

瀬谷区の「追分市民の森」へ菜の花を見に出かけた。
見事に咲いていた。桜の木も1本満開であったので、そこで写真をとって
卒業の記念とした。
2004年3月13日(土)
自然界に春が来た。
ロンの散歩のついでに、近くの公園である親水広場やふれあい広場のあちこちを回ってみた。
ミモザが花房をたわわにつけていたり、河津桜が3本咲いてカメラの被写体として活躍して
いたり、ヒカンザクラや、名前を知らない桜が濃いピンクの花を付けていたり、白い桜が
4本、満開になっていたり、ソメイヨシノがつぼみを大きくふくらませていたり、
しだれ柳が柔らかな芽吹きの色をつけていたり、ネコヤナギが銀色に光っていたり、
こぶしがあちこちで白い花びらを開いていた。
梅はもう盛りを過ぎてしまったけれど香りは高くあたりに満ちていた。

夕方、泉の森公園にロンを連れて散歩に出かけた。
民家園の河津桜は、小さい木ながら見事に咲いており、葉が出始めている木もあった。
桃はすぐにその木と分かる花を付けていて、「ああ、桃だ」と思わず心でつぶやいた。
木々は芽吹き始めていた。自然界にくっきりと春が来ていた。

生まれて初めて「アカスリ」なるものを経験した。一皮むけたような気がする。
事実、一皮むけたに違いない。サウナでの汗の出もいいような気がして気持ちよかった。

昨日、高校時代の友人Aちゃんと電話で話した。活躍していることを聞いて本当に嬉しい。
あのころの友人はどの人もがんばり屋で私の自慢だ。
2004年3月11日(木)
今年はありがたいことに花粉症の症状が軽い。
目のかゆみもほとんどないし、クシャミもさほどでもなくて助かる。
けれども、やる気がないような「ボーッ」とした感じがあり、
どうもすっきりしない。これってどういったことが原因しているんだろう。
朝、40分の徒歩通勤しているのに「元気」とはいえない。
冴えないなぁ。
職場でもなんとか仕事をこなしているだけである。もっとも、仕事はそれなりにあって、
手を広げる余地はないのが現状だけれど。
私が忙しくてどうするんだ、との思いもある。
仲間に仕事をしてもらってこその作業所なのに……。だるい……。
2004年3月10日(日)
職場の希望者で横浜みなとみらいの木下大サーカスを見に行った。
サーカスってこんなだったっけかと思いながら見た。
風は強めであったけれど暖かな日で助かった。
H君は1歳11ヶ月になったばかりであるが、機嫌良く一度もぐずることなく
歩いたりしていた。話す言葉が分かって一段とかわいくなった。
Eちゃん、H君を連れてきてくれてありがとう。あなたの荷物を持ってやる気配りもなく
ごめんね。
2004年3月6日(土)
ひな人形をしまった。テレビの上に飾ったケースに入ったひな人形は、もう32年も
我が家にある。今年は持ち主と一緒にお引っ越しするかもしれない。

アンを病院に連れて行った。かぜ薬を飲まず治らないためでもあるが、お腹に虫がいる
ようなので見てもらった。やはり虫がいるようで、明日薬を飲ませる。錠剤なので
飲ませるのに苦心しそうである。なんとかして、1錠だけなので飲ませなければ。

久しぶりに友人と宮ヶ瀬ダムに行ってみた。ダムの水もたくさんあり、ずいぶん
整備されていた。山と水を見て、気分がリフレッシュされた気がする。

帰宅したら卒論合格の通知が届いていた。これで卒業が確定したということになる。
だけど卒業通知がくるまで落ち着かないこの思いは何なんだろう。
我ながら情けない。

たくさんの人にお世話なりながらの卒業である。
ありがたく、嬉しい。
2004年3月3日(水)
ひな祭り。Kさんの誕生日。おめでとう!
Sがちらし寿司と天ぷらを用意してくれた。見た目がきれいな上においしい。
料理が手早く上手で、こうした食事が出来る私たちは本当に幸せ者。
S、ありがとう!

人の命について考える。
サスペンスが好きだけど、そうした時の人の命をどう考えながら見ているんだろう、私。
深く考えずに見ている気がする。
人の命、人の生き方……。
2004年2月29日(日)
26日夜行バスで新宿から京都へ。27日の朝6時前に京都着。
空調の悪いバスで寒さをこらえての8時間半ほどであった。
座骨神経痛が再発しそうな旅の始まり……。

とにかく駅前で1時間ほど時間を過ごしてから宿に行く。
宿では部屋を用意してくれ、休ませてもらえたことが予想していなかっただけに
嬉しかった。8時半ごろ宿を出てバスで南禅寺に向かう。あこがれの「琵琶湖疎水」の
水路閣を見る。琵琶湖疎水は今も京都の水源だということを、夕食をご馳走になった
恩師から聞かせていただいた。水路閣の水は南禅院に向かった場合、右から左に流れて
いたので驚く。
永観堂を見学、みかえり阿弥陀如来様を拝観。位牌堂で後頭部がゾワゾワッとして
髪が逆立つような異様な体験をした。初めてのことで驚いたが、手を合わせていたら
異様な感じはなくなった。

北野天満宮で梅を堪能。昨年の方が感激があったように思う。
10月桜を期待して平野神社に行ったが、ぽちぽちとそれと気づかない程度に
咲いているだけであった。残念。

肝心の卒論口頭試問は、緊張のあまり何を話したのか、内を尋ねられたのか
余りよくわからない状態。情けない。
とにかく終えたので、前からすてきなメルマガで気になっていた「アンジェ」という
小物店を探し当てて、恩師へのお土産に、桜の絵が付いたお茶碗と、桜の花びらの
箸置きを買いもとめた。
夕飯は四条烏丸の大丸の向かい側の地下にある、しゃぶしゃぶのお店へ。
またご馳走になってしまった。
先生、ありがとうございました。

さて、28日は伏見稲荷へ電車で出かけた。JR稲荷駅の目の前が赤い鳥居で
そこが伏見稲荷であった。登る登る、石段をずーっと、一の峰まで。
帰りは足がヘロヘロする感じ。
そこから石峰寺の五百羅漢を見に出かけた。南天が赤い実をたわわに実らせて、
赤い葉をつけていた。参道は南天のお陰で明るく、暖かな印象で始まっていた。
静寂な竹林のいい石仏羅漢様であった。そこでもゾワゾワ体験。
さらに宝塔寺へ。そこでも若干ゾワゾワ体験。ゾワゾワ体験に慣れた気がしてくる。
稲荷駅までもどったが相当疲れた。

宇治へ向かって平等院を目指す。やっとの思いで平等院について見て回ったが、改修中
で阿弥陀如来様を拝観できずじまい。
足を引きずって、観月橋を渡り宇治上神社、宇治神社、朝日屋(陶器)を回りJR宇治駅へ。
疲れ果てて京都駅へ。「京のれん」でお酒を飲みながら10時過ぎまで休み、夜行バスに
乗って今朝帰宅。
体中が筋肉痛で身動きできない状態。
2004年2月22日(日)
毎年、誕生日に届くようにKさんから贈り物が届く。
ありがたいことである。
今年は早めの卒業祝いを兼ねてといって、すてきな春らしいフリフリのセーターと
カップに茶こしがついていて、お茶が飲めるようになっている、デザインも色も焼きも
凝った陶器。
さっそくお茶を入れて飲んでみた。うまい!
ラッピングも見事で本当に人を喜ばせることが上手な人である。

私は全く逆。人への贈り物は苦手。ひとりで勝手に「こうしたい」と
思う時はまだいいが、理由があってプレゼントしなければ、あるいはお返しを
しなければと思ったとたんにフリーズしてしまうらしい。情けない。

ミーナがかじった毛布を3枚修理し終えた。ヤレヤレ。
3月か4月のような暖かな日差しの中で、最後の1枚を横浜国際女子駅伝を見ながら
一針ひと針修理しているのは何とも穏やかな気分であった。
「平和」「幸せ」ということばがスポッと当てはまるような時間。

息子は「お母さんたちのような考え方には無理がある」という。
自衛隊のイラク派遣は支援であって他の何物でもないという。
さらに現実にはアメリカと協力関係を崩すわけにはいかないと。
戦争になんてならないよ、そうなる時は国民が反対するでしょと。

同じ言葉を、息子と同じ年代の男性から聞いたことがある。
ああ、近くにいる人や家族さえもそんな考えでいるとは!
イラクに派遣された自衛隊の人が攻撃されるようなことがあれば、「目には目を!」
と叫んで戦争になるやもしれない危険性があることを話したがどう理解したやら……。
今日の朝日新聞の天声人語に心に残ることばがあった。アメリカの独立宣言起草委員
であったベンジャミン・フランクリンの「よい戦争もなければ、悪い平和もない」
ということば。大切にしたい。
2004年2月21日(土)
2月20日は誕生日であったが、職場研修のため箱根湯本へ。
障害社福祉の支援費についての講演であった。
障害のある人の生活をトータル的に支えるには、ケアマネジメントが
必要であるという話であったが、それは言わずとしれたこと。
また、介護保険とは別なシステム作りが必要とのことであった。
ごったまぜにするのは論外であるが、それでもあえて言うなら、
高齢者であろうと障害のある人であろうと、障害のない人であろうと、
子供も大人も一緒に暮らすことで思いやりも育ち、希望も持てるという
ものだという気がしてならない。お互いの関係性の中で成長し合う気がする。

緊急時の対応についての講演会が今朝から。研修時に2本の講演会は初めて。
障害のある人とともに働くからには、障害の種類や症状、また平常時と緊急時の
見分け方と対応について知っていなくてはならない。
勉強不足を実感。

陸・海・空とすべて、自衛隊のイラク派遣がなされた。
こうして、なしくずしに「平和」から遠ざかるのか日本!
どうすれば、歯止めになるんだろう。
2004年2月15日(日)
風が強めだが暖かな日で、公園には子供連れの人が大勢出ていた。
梅園に寄ってみたら、いい香りがしているわりに6部咲きの梅が2本ほど。
あとは数えるほどの花が咲いているのみ。春はこれからなんだ。

卒論の口頭試問日が27日に決定。ちょうど土・日にかかるので
京都でまだ寄っていない名所を回ってくることにしよう。
卒業決定もまだ、国試の結果もまだでなんか中途半端な気分ですっきりしないが、
何か新しい事を始めるにはいいチャンスだ。
さてさて、手始めにするものは……っと。
2004年2月11日(水)
久しぶりに七沢温泉に行った。ついでに日向薬師の梅を見によってみたが
まだつぼみも堅く早すぎた。

感情をむき出しにするのはあまり好きではない。
特に怒りをそのままぶつけられるのは苦手。
コミュニケーション出来るだけの余裕のある感情表出が好ましい。
2004年2月5日(木)
徒歩通勤途中の道路に布団がそのまま放り出されてあるのを見た。
敷き布団にはカバーとシーツがあり、毛布と掛け布団もある。
寝る事ができる状態の布団をそのまま外に出したといった感じである。

寂しさと悲しさと切なさとやるせなさといった感情が一緒になって
おそってくるような情景であった。
何があったのか、どうして布団が外に放り出されたのか知るよしもないが、
誰かのいらだち、悲しみ、怒りなどからのすさんだ気持ちが見えるような気がした。

布団のそばに咲いていてる、紅白の梅が美しく香しい。
2004年2月2日(月)
健康って本当にありがたい!そして家族がいることも。感謝。
1月28日の正午過ぎからのどがいがらっぽくなり、夕方から咳をし始めた。
29日は午前中休みをもらうほどに。
30日はお休みせざるを得なくなった。39度の熱。
インフルエンザとのことで病院では対処療法だけしますといわれ、
抗生物質と解熱剤が処方された。解熱剤を飲んでも38度以下にならないまま
31日、2月1日と過ぎたが1日の夕方には37度台になるようになった。
インフルエンザにかかったのは初めて。インフルエンザにしては症状は
軽かったのかもしれないが、身の置き所のないきつさは別に経験しなくてもいい。

37度台になるともう治った気になるから我ながら笑えた。
しかし完治したわけでもないし感染力も心配し、きょう2日もお休みした。
自己管理の不徹底で職場の人たちには迷惑をかけてしまった。
あしたから出勤しますのでよろしく!

アンの風邪がミーナに移って、ミーナは2日間も病院へ。
注射を打つやら、薬をもらうやら。お陰ですっかり元気になり、
アンに追いかけられながら自分はチビを追いかけて、チビにいやがられている。
アンが来てからミーがアンに興味津々だったので、チビのストレスが軽くなったのか
彼女が自身の毛をなめるのを止め、はげていた下腹に白い毛が生えそろいはじめた。
今日はアンが病院に行き、薬と注射。彼の風邪をまず治さなければいけないらしい。

アンを公開します。と同時に最近のこてつ、チビ、ミーナも。

晩白柚(ばんぺいゆ)という世界一大きな柑橘類をいただき、熱があるときに食べた。
めずらしい、おいしい、みずみずしい。写真に撮るのを忘れた!初めての果物だったのにぃー。
ああ、このホームページで公開したかったなぁ。
Sさん、本当にごちそうさまでした。家族みんなでとてもおいしくいただきました。
2004年1月26日(月)
早速職場まで徒歩通勤を始めた。
自宅に帰ってから、猫の寝床として占領されてしまったマッサージ付き座椅子に
手縫いとミシンを併用させながらカバーを作り上げた。

とにかく試験を無事に終えることが出来、よかったと思う。
応援してくれた様々な友人知人、職場の人たち、家族や兄弟に心から感謝している。
職場や家族には本当に迷惑をかけ、甘えさせてもらった。
恵まれた境遇にいさせてもらったことを忘れるまい。
ありがとうございました!

試験にしごく平常心で臨めたことも嬉しいことの一つであった。
ああ、これが試験かと思わせられるほど新しい設題のあり方も、
改めて自分の勉強不足への戒めにはなった。
発表は、卒業することが受験資格の条件なので、卒業が確定する
3月末日である。
不合格は確実であるが、正規の発表まで待つことにする。
ひとときの安寧に逃げている私であるが、たまにはそんなこともあって
いいんじゃないかな。いつもいつも挑戦してきたんだから、今は休みたい。
2004年1月25日(日)
とうとうこの日がやってきた。
社会福祉士の国家試験。早稲田大学の西キャンパスへ。
問題を見てびっくり!今までに見たこともない設題で、見たことも聞いたことも
ない人の名前が並んでいる。
様々な「内容」を問うもので全く解答できない。
時間ばかりが過ぎていく事にあわて、ほかの問題はゆっくり読む暇もなく、
とにかくなにやら回答しておかなければならない状況となり、
時間ぎりぎりで解答し終えた。

わからない問題が多い上に、うろ覚えのものは全滅状態。
新宿の近くで学友とお酒を飲んで、10時過ぎに帰宅。疲れたー。
来年受けたとしても、あれだけそれぞれの科目を深く突っ込んだ
勉強は出来ないだろうと不安だけが募り、気分は沈んだまま。

それでも受かる人は受かるんだからなー。
また来年挑戦し直しだ。
Sが早くから起きてカツ弁当を作ってくれた。
いつも、本当にありがとう。試験、報いることが出来ずごめんね。
2004年1月18日(日)
義母の17回忌。11名が集って法要を行った。
昨日から義父と姪が法要のために我が家に泊まり、いろんな話をしたり
お酒を飲んだりして楽しく過ごした。
Sがいろいろとよくやってくれて、本当にありがたかった。
sお疲れさま。ゆっくり休んでね。

昨日17日、朝から雪が降り外にいる子猫をSを拝み倒して、
毎日ふき掃除を私がするという約束で、うちで飼うことにした。
洗って家に入れたら、当然といった顔をして寝ている。
Sのネーミングで雄ではあるが「アン」という名前になった。
これでやっとほっとした。
しかし、広くない家でしかも外に出さずに4匹の猫……。
2004年1月12日(月)
成人の日。新成人のみなさん、おめでとう。
若い人にとっても就職難や将来が見えない不安のある今日、生きにくい世の中であろう。
物心ついたころから不景気風が吹き始めて、両親が安心して生活していないといった
状態を見続けてきたのだから、心の奥に「不安定塊」を抱えているといえるだろう。
それでも、生きていればいいことがある。
自分のために、未来の人たちのために、自分に出来ることから始めて、住みやすい
日本を作って欲しい。

こんな世の中にしておいて今更……と叱責を受けそうだ。
本当に申し訳ないと思う。
憲法9条が「障害」であるなんて「アメリカ」に言わせていていいのか。
国益のためのイラクへの派兵だそうだ。
「国益」ねぇ……。
ほぞをかむような気分。

私の心は国家試験への焦りと、ロンと一緒に生活している子猫の処遇に対する
悩みでもやもやしている。チッコイ、チッコイ。
2004年1月6日(火)
迷い子猫が一昨日から我が家にいる。
白ときじとらで、顔の中央は白。
尾は長くてまっすぐであるが、先の方が少しだけ「く」の字に曲がっている。
尾は根元がきじとらで、先の方に行くとアメリカンショートヘアっぽいよこしまである。
推定年齢3ヶ月から5ヶ月くらいだろうか?

ロンの小屋にちゃっかりと入って、ロンと散歩にまで行く。
人なつこくて、顔を見て鳴く。
こてつにそっくりでかわいい顔をしている。
家族は4匹目を飼うのかと戦々恐々としているが……。

体を洗ってやったらきれいになった。
ずっと抱かれて育ったらしくて、ひざに抱くと降りようとせず、全く安心しきって
ぐっすりと寝込んでしまう。
大切にかわいがって育てられていたに違いない。
なんとか飼い主に戻してやりたい。

ここは神奈川県大和市です。
どなたか猫を探していらっしゃるようでしたらご連絡ください。
このHPのメールからお願いします。
また、里親になってくださる方がいらっしゃるようでしたら、
ご連絡ください。お待ちしています。
2004年1月1日(木)
明けましておめでとうございます。
念願達成の年でありますように。

娘は仕事で新年になってから仕事を解放され、家に来たので一緒に新年を祝う。
3時半頃、近所の神社にお参りし、家族も、日本も世界も平穏であって欲しい……と
賽銭以上のことをお願いした。
例年通りおいしい樽の御神酒をいただく。よし!これで国家試験合格だ!

我が家に来て初めてのお正月を迎えるSは、おせちを作ったりして私を
サポートしてくれた。申し訳なく、ありがたいことである。感謝!
元日から働く娘には申し訳ないが、きょうは家族全員でたっぷり休んだ。



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