つくしの日記

ささやかな日常を綴った日記です

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2005年           

2005年12月31日(土)
30日、ガラスを拭いたりお買い物に出かけたりしただけで
疲れてしまいボーっとしていたら日が暮れ夜になってしまった。
31日、とうとう今年も終わる。
障子を貼ったり、お掃除したり煮豆を作ったり、紅白歌合戦を見たりした。
Sがおせちを作ったり、お掃除をしたり買い物をしたりとまめまめしく
よく働いてくれた。感謝である。
ありがとう。
今年はシュンスケの成長と笑顔に癒され続けた年であった。感謝。
2005年12月28日(水)
仕事納めとなりイオンで忘年会。
その後はそれぞれカラオケに行ったり……。私たちは飲みに大和駅近くへ
行ったがいかんせんお腹がいっぱいなのでお酒も入らない。
なんだかんだとそれなりに食べ飲んだのは、おしゃべりが楽しかったからか。
2005年12月25日(日)
勉強できると期待していた3連休は、本を開かないまま瞬く間に過ぎてしまった。
それでも疲れがとれず、明日の出勤が億劫に思われる。
この休みにしたことといえば、家族5人でお買い物と外食。
HPの更新、年賀状書きと障子はがしぐらい。障子貼りまで済ませたかったが……。
あーあ、何とかしたいよこんな自分。情けなーい。

犬の散歩をする、すぐ近くの公園に「いいぎり」が3、4本あり、
どの木も真っ赤な実をたわわにつけて、ものみな枯れた公園に華やかな一隅を演出している。
ふと足元を見たら、芝桜が枯れ残って花を咲かせている。
みもざも堅いつぼみを付けている。
負けないで、春を呼ばなければ!
2005年12月18日(日)
今年もこれも恒例になっているみかん狩りに行ってきた。
すごい寒波とかでヒューッと吹いてくる風に耳が痛くなったり手をかじかませながら、
木に登り黙々と6箱分みかんを取って田舎や友人に送った。
今年は酸っぱいけれど甘さも結構あって美味しい気がした。
でも、値段も昨年より1割五分増し。少しがっかりしながら帰宅した。
筋肉痛になりながら何時間もかけてみかんをとり、スーパーで買うより
高い値段で買ってくるのである。
疲れ倍増。
2005年12月16日(金)
職場のみんなは恒例の餅つき大会に招待された。
年賀状印刷で一番忙しい季節なので、毎年全員出席は無理である。
6年間も出席できずにお留守番してくれていたIさんがやっと出席でき、
私が留守を預かった。
お餅やサンドウィッチ、ピザまでお土産に持ってきてくれた。
ご招待下さったみなさん、ありがとうございます。

宮が瀬のクリスマスツリーを見に行ってきた。
20周年とかで飾り付けもいつもよりも華やかに感じられた。
2代目のもみの木が植えられ、小さいながらも人気を呼んでいた。
崖の林の中にあるもみの木に電飾を施したものを見たのが最初であった。
あれから毎年のように出かけているが、今はダムも完成し、
辺りは整備されて心地よい空間となり、林は全てなくなり大階段が出来上がっている。
2005年12月9日(金)
シュンスケ10か月にしてきょう、家の階段(12段)を全て上りきる。
Sと二人で拍手して、よくやったねとその成長を喜んだ。
このまま元気に育ってほしいと願うばかり。

広島、栃木で幼い少女が下校途中に命を奪われる事件があり、何とも痛ましく無念である。
ますます、人間不信になるよう教育しなければならない風潮が強まっている。
犯行に及ぶ犯人の心のゆがみは社会のゆがみだろうか?

独楽膳さんから市内の作業所が招待を受け、あるむは昨日の8日ご馳走になった。
どれもおいしくいただいた。それもおなかいっぱい!
ありがとうございました。ご馳走様でした。
2005年12月7日(水)
アッという間に師走も7日になってしまった。
日が経つのが早すぎー。
停電になったりブレーカーを切ったりするとパソコンが立ち上がらなくなってしまう。
原因不明。そのために3日ほどパソコンを使わないままであった。
きょう、パソコンの電源を別のコンセントに差し込んで立ち上げた。なんだかねー。

3日の土曜日は年賀状シーズンのため、当番で出勤。
上司も仕事で出勤するというので、昼食をラーメンの出前にして
ご馳走になった。おごっていただく味はまた格別!ごちそうさまでした。

4日の日曜日は卒業兼模擬試験。案の定ワカランチンプンカン。
「へーそうなんだ」とか「これって何?」とか「聞いたことないよー」とか
「はぁーあ、わかんないよ」などなど……、ぶつぶつと心の中でつぶやきながら
諦めずに試験を受けてきた。投げ出さないことだけが長所。
試験時間も、設題数さえも把握してないままの自分にあきれるがこれが現実。

風邪で喉を痛めたのか、声がかすれてしまった。
もうほとんどいいが、電話などで話をするのは疲れる。
まあ、概ね元気。試験勉強と家事以外は何とかやっている。
じゃ、それ以外って何してるの?と聞かれるのはつらい。
仕事はしているけど……、気がつくと朝になっていて……の繰り返しの日々。ムムムムム……。
2005年11月27日(日)
最後のレポートを何とか仕上げた。
終わったー!
残るは12月の卒業試験兼模擬テスト。もう今からではこれの合格は難しいが
本番の試験には何とか受かりたい。

23日から風邪を引いた。朝、ん?風邪かなと思っているうちに
昼過ぎの2時頃には喉の強い痛みと頭痛で寝込んでしまった。
24日には出勤してみたが頭痛で何とか夕方5時までいたが早退してきた。
ところが、帰宅したらSが嘔吐して苦しんでいる。
夕飯を作ったり、なんだかんだとあたふたしてしまった。
25日の朝方2時頃から今度は私が嘔吐し始める。朝まで続き、頭痛もきつい。
Sはすっかりよくなったとのことでホッとする。

25日は仕事を休み、26日までずっと床の中にいた。シュンスケの側に寄れないのが残念。
26日の夕食は「ぎょうざ」をリクエストしたら、Sが「本当に食べられるの?」と
心配しながらちょっと春巻き風の餃子を作ってくれた。これまたおいしかった。
相変わらず、料理のセンス抜群である。

今日27日は昨夕の餃子が効いたのか久しぶりに起き出して、うわすべりを敷いたりレポートに取り組んだりと
とにかくしなければならないことは終えた。ヤレヤレ。
さぁー、試験に向けてまっしぐらに突っ走るぞー!
2005年11月20日(日)
シュンスケは9ヶ月の終わりから歩くようになった。
4、5歩進むだけだが自分から意志を持っているようだ。なんともかわいい。
「あー、あー」とお母さんを呼ぶ様子も可愛い。
友人から新米や柿やさまざまな野菜、瓶詰めなどが送られてきた。
メッセージも添えてあって、田舎の懐かしい香りがした。
ありがとうございました、Tさん。嬉しく頂きます。

昨日19日は目黒区の八雲住区センターへ「精神医療を歴史からひもとく」という
演題で芹沢一也氏の話を聞きに行った。様々な法律の出来ていく過程に学者たちと
行政の思惑があったことを知った。そんなことは先刻承知のはずであったのに
講義を新鮮な思いで聞いたので「知らない」私がいたようだ。
「偏見や差別などはともかく、システム化されることが問題なのです。もっと統計的な
数字を明らかにしていくことが大切です。」ということばが学者らしいという
印象として残った。
2005年11月12日(日)
先週に引き続き、昨日の土曜日も出勤した。
仕事が捗るのでそれなりにメリットはある。
また、作業所が開いているということでお客さんも立ち寄ってくださるのがいい。

屋根にソーラーシステムを取り付けた。たくさんの人が見えて、工事はほとんど完成のようである。
何となく気分がゴタゴタして、猫4匹と同じ部屋でゴロゴロと過ごした。
アンとコテツは1ヶ月ほど野良猫をしたせいか表に出たがる。特にアンはこちらの隙を
逃さずにサッと走り出るので要注意である。猫の番と称して日向ぼこをしながらうとうとしていた。

先日は関西から岐阜まで柿を買いに出かけた友人から富有柿が届き、今日は京都の友人からも
富有柿が届いた。自分が注文してあった次郎柿も届き、柿三昧をして幸せである。
一度に食べる柿は2個という事はない。黙っていると4、5個は食べる。
ありがたく、嬉しく頂いている。
Eちゃん、Kさんありがとうございました。ニマニマしながらいただいていますよー。
2005年11月9日(水)
お隣のAちゃんが念願かなっていよいよ司法修習生に!
おめでとう!ほんとすごいよね。
嬉しくて嬉しくて……。
おめでとう、よくやったよね。
2005年11月6日(日)
Tさんから鰺をたくさん頂いた。
400匹もご主人と釣り上げたとのことであった。
その鰺をさばいて干物にして送って下さったのだ。
釣る楽しみはいいとしても、さばいて干す労力がすごい!
感激していただく。今日は焼いたから明日は唐揚げで頂こう。
せっかくなのでW先生の元にもお届けした。
ありがとうございました。

昨日は、娘が家に来て主人と3人で食事をしていった。
食事の準備や片づけまでしていってくれた。
娘が1人だけ来て食事をするのは珍しい。
ここはもう自分の家ではないので、実家に来ると懐かしい気がするという。
歩いて5分とかからない所に住んでいるのに……。
ま、自分の家庭が一番安らげるというのが大切な事であり、それが幸せな事でもある。
2005年11月3日(木)
文化の日。
NPO法人の設立総会であった。とうとうここまできた。
どうなるのか不安がない事もない。
全て所長のお陰である。ありがとうございます。
2005年10月30日(日)
昨日は片づけたり掃除をしたり、お客用のシーツをなどを洗濯したり、ロンを洗ってやったりと大忙しであった。
お陰で薄日が差していたのに時々小雨が降ってきた。主婦も結構好きかも?

きょうは面接技術基礎編の最終日。
ロールプレイを見せていただいた。んー、なかなか難しい。
ビデオのようにはいかないようだ。

レポート、やっと書き上げた。来月はレポート提出最後の科目なので少しは早く仕上げたいものだ。
大分県の友人から、大きなびっくりするほど大きななしが送られてきた。
ありがとうございました!
2005年10月28日(金)
こまりさんという見知らぬ方からメールを頂いた。

以下抜粋。
さて、はじめてのメールでたいへんぶしつけとは存じながら、
日記4月7日の「四月大歌舞伎」演目についてひとつ…。
朝いちばんの「源太勘当」ですが、配役は
源太が中村勘太郎さん、千鳥は中村芝のぶさんでした。
当初はお書きになっていらっしゃるとおり、
源太=七之助(弟さん)と千鳥=勘太郎さん(お兄さん)の
勘三郎ご子息兄弟共演のはずでしたが、
この冬いろいろなことがあり、七之助さんは残念ながら
この演目には出られなかったのです。
芸の相性もぴったりでとても仲のよいご兄弟の共演を
私も楽しみにしていたひとりでしたのでとても残念でしたが、
芝のぶさんもとても可愛らしい役者さんですし、
役のスライドもものともせず弟さんの分も頑張った勘太郎さんは
ご立派でしたよね。

とのことであった。なんともまあ、恥ずかしく申し訳ない限りである。
知らないとはこういうことを言うのだ。
能も歌舞伎も見ているだけで楽しめる。けれど少しも勉強せず、何も知らないまま
見ている。
歌舞伎や能はやはり観るものなのだろう。
見ることから始めてもいいのだろうけれど、それにしては歳を取りすぎている私。

Kちゃんから初めてのメールが届いた。そのメールにはお孫さんの写真が添付されていた。
シュンスケよりも1、2ヶ月遅く生まれたと思ったけれど、もう歯が見えている。
なんともかわいいお孫さんである。いい写真であった。

25日に茶梅という珍しいものをウーロン茶と一緒にSさんから頂いた。
ウーロン茶で煮詰めた梅であるということであったが、甘くておいしい。ついついつまんで食べてしまう。
ありがとうございました。
2005年10月23日(日)
横浜労災病院の会議室で行われている面接基礎研修会に出席。
ロールプレイに慣れず、どうも気後れしていけない。
昨日とはうってかわって、抜けるような青い空とはこのことをいうのだろう。
なんともいい天候であった。
昼は講師と昼食を共にした。もっと仲間とも話せるといいのだけれど。

主人は神奈川県社会福祉士会の国家試験準備講習会の模擬テスト日。
本番の試験、大丈夫かなと思うくらい机に向かわない……。
彼のことをとやかく言える私ではない。机に向かわないのは同じだから。
でも、それにしてもね。

参議院補欠選挙。投票に出かけたけれど投票所はやっぱり閑散としていた。
しらけるよねー。
2005年10月22日(土)
県央障害者地域作業所連連絡会の展示即売会であった。
年賀状のチラシが間に合ったので会場の駅前プロムナードで配布した。
天候がいまいちで、小雨がぱらついたりしたため人通りがあまりなく、
余りはけなかったがそれでも300枚くらいは配れただろうか。

W先生が本当に何年ぶりかで家に訪ねて見えた。
大好きだといってあったために、先生宅の庭に実った「あけび」をわざわざ届けてくださったのだ。
嬉しかった!
ゆっくり話せて、体も心も安まった気がした。
ありがとうございます。
2005年10月19日(水)
ライオンズクラブのチャリティー寄席に行く。
保健福祉センターホールで三遊亭小遊三などの落語や東京ボーイズの歌謡漫談を聞いたり、
鏡味正二郎の曲芸を見たりした。
65歳以上のおばさま方がほとんどといったところであったがホールは満席であった。
この収益はわが地域作業所などがバーベキューをご馳走になるときに使われているようである。
ありがたいことである。

義父が自宅に帰っていった。ひとりで気楽ではあるだろうけれど、身体がしんどくなって
来ているのではないかと察せられる。私でさえ疲れるのだ。
ひとりでご飯を作って、洗濯をして……。
やらなければならないことがあるから、また好きな女性と会ったりするから
励みになっているとはいえ、もう少し頻繁に連絡をしなければいけない。
2005年10月17日(月)
雨。よく降るなー。
昨夜2時頃、ずーっと気にしていた歯茎に刺さっているものがとれた。
魚の骨のような針よりも細く、それでいて丈夫な感じのものである。
だから何日も痛みが引かなかったのである。
これでは歯科医も気づけず、「なにもないですよ。」と言うはず。
アーすっきりした!
お陰で明日、予約通りに歯科医に行ける。まだはれているし、気になる感じがしている。

そういえば、秋の花粉症はあまり症状が出ないままなので忘れているほどでありがたい。
鼻がグシュグシュ、目がカユイカユイ、クションクションと連続するクシャミ、ボーッとする頭。
どれほどクサクサすることか。

義父と主人は箱根まで行けず、湯本の近くで温泉に浸かって来たという。
この雨ではあちこち歩くわけにも行かず本当に残念なことであったろう。
2005年10月16日(日)
義父が昨日来宅し、お墓参りに出かけたあと、家でおきまりの飲み会。
もうすぐ91歳の誕生日を迎えるが本当に元気でありがたい。
昨夜も陽気に何曲かアカペラで得意の喉を聞かせてくれた。
年齢よりはずっとしっかりしているがしかし、やはり足腰が弱ってきているようである。
9キロ以上あるシュンスケを抱っこするには用心しなければいけない。
あぐらからすぐに立ち上がるのは難しい。
質問に答えても、また同じことを何度も聞く。(これは母も同じである。どうしているかな。)

きょうは大和で大相撲の興業があり一緒に出かけてきた。
パフォーマンス相撲であったがそれなりに楽しんでもらえたようである。

先週の火曜日と金曜日に歯科医に行ったが、歯痛はまだすっきりとは治まらない。
歯茎になにかささっているようだ。とがったものが舌にふれる。
空腹に痛み止めなどを飲むと、胃痛がして吐き気までしてくる。
明日は、明後日の予約を待たずに歯科医に電話をして刺さっているものを
見てもらうことにしよう。
1日寝て休めば楽になるのだが……。貧乏人はつらい……。
2005年10月14日(金)
シュンスケの9ヶ月の誕生日。
彼は伝い歩きをし、ひとりで立つことが出来る。
ひとりで立っている時は、得意げに笑っている。なんともかわいい。

小学校の時の先生から、お手製のバッグとお手玉をいただいた。
パッチワークのとても素敵なものである。
ありがとうございます。
今の30代の人はチェーリングは出来るけれどお手玉は出来ないのであった。
何歳くらいからお手玉が出来なくなっているんだろうと思う。
娘にお手玉を作ってやった記憶がある。娘は作ってもらったことを
覚えていたが、お友達とはお手玉で遊ばなかったので出来ないと言うことであった。
時々手にとって遊びたいものだ。

職場で歓迎会。歯痛が治まらないのでやけになってビールを少し飲んだら
余計に痛みが増した。あ〜あ。
2005年10月10日(月)
体育の日。母の95歳の誕生日。
何の連絡もお祝いもしないまま日が過ぎてしまう。

昨日、雨の中友人と3人でドライブ。
洒水の滝にいったら、滝の寸前で落石のため通行止め。
では……ということで大山に行った。下社までケーブルカーで往復してきた。
紅葉ははじめかけたばかりといったところであった。
豆腐料理のひどかったこと。
トイレの芳香剤の臭いの強い部屋で、スーパーの安い小さな豆腐にとろろを載せて、市販の山菜の水煮をまぶしたもの。
安いごま豆腐を買ってきて、小さく切ったもの2つ。おそばが堅くなった卵にリーフ状にくっついて固まったもの。
添えてある海老は、カスカスで香りも味もなし。おまけに背わたがとれてなくてジャリという感じ。
あまりのまずさに3人で笑ってしまった。感じの悪い客であったろう。
しかし、こんなに値段と釣り合わない料理も珍しく、初めてであったように思う。

日向薬師にまわって、大和に帰ってからバーミヤンでお口直し。
一昨日からの歯痛がひどくなるばかり。
高校の時のW先生から庭のアケビと栗の渋皮煮をいただいた。
両方ともおいしい!アケビはしょっちゅう夢に見るほど好き。
2005年10月8日(土)
曇天。のんびりと過ごす。
久しぶりにパソコンに向かった気がする。
たくさんの情報を頂きながら、更新できずにいたので気にかかっていたが
やっとなんとか形にした。
こうして情報がいただけるのは本当にありがたいことである。
感謝するだけで何のお返しも出来ないけれど……。
2005年10月2日(日)
町内会の運動会。見事に晴れて暑い1日となった。
寝不足の主人は、今年も手抜きをせずに下働きで活躍したようである。
そういえば、今年の成績を聞かなかったが……。

専門学校の学園祭とのことで講演を聞きに行った。
2日間の寝不足であったがその割にはあまり眠くならずに聞くことが出来た。
実習担当の先生に「たこやき」をご馳走になりながら少しお話しした。
帰宅後、たびたびの電話に起こされながらもただひたすら眠った。

Sは料理が本当に上手である。きちんとしたものを作るかと思えば、ある材料でもおいしく作る。
おまけに手早くセンスもいい。料理が終えた時は台所はきれいに片づけられている。
友人から頂いたからといってきょうは鰺を3枚におろしてにぎり寿司を作り、鯖を煮付けてくれた。
うまい!にぎりの舎利は白ごま入り!
そのうちに魚をくれた息子夫婦の友人家族がSに魚のさばき方を教えてと来て、教えたり、食べさせたりして
みんなで楽しそうにしていた。
人生を楽しんでほしいと心から思う。

8ヶ月のシュンスケに歯が生え初めたとのことであった。また違ったかわいさを見せてくれることだろう。
とても愛おしんで育て、イライラをぶつけたりしないSに感謝である。子育ても上手で感心する。
シュンスケはもう意思があり、ほしいものが手に入らなかったりするとべそをかいたりする。
「イヤー」といった感じで拒否の泣き方をしたり、「アー」といってママを呼んだりして、かわいさも
一段と増している。
子どものいる空間はほんとうに心和むものがある。
2005年10月1日(土)
30日の昨夜が叔母の通夜で茨城まで出かけた。
久しぶりに会う皆さんは、あまり変わっていなくて安心した。

義父宅に着いた早々に、向かいの家の道路側の庭にスズメバチの大きな巣を見つけてしまった。
通夜に出かける前に役所に電話したりして、ちょっとした騒動であったが帰宅する時にもまだ
退治されていなかったので、どうなったかと気がかりではある。

今朝、5時頃に義父宅を出てこちらに10時半近くに着いた。3時間くらいしか寝てないので疲れたが、
予定が一つなくなってしまったので、娘と荻野運動公園のコスモスを見に出かけた。
まだ、40%の咲き具合であった。
あまりにいいお天気なので掃除をしたり、ロンを洗ってやったりして眠らずに過ごした。
2005年9月28日(水)
義母の実家を継いでいる叔母が亡くなったという知らせが入った。
こうして、別れが突然にやってくる……。
叔父が残されたようだが、大家族なので時間が経てば慰められるだろうか?
2005年9月18日(日)
昨日で実習が終わった!!!!!!

実習先の皆さんには本当にお世話になった。
スタッフの皆さんはいつも支援の方向性を話し合われて統一しており、どんなことが自分たちに出来るか、
どんな風にすべきかを考えながら仕事をされておられた。
「当事者の力を信じて、私たちは支援者として何をしていくかを常に考えています。」
という担当指導員の言葉に感動した。
スタッフの皆さんが実践しておられることを見た上での言葉であったから、今も心に残っている。
自信を持って仕事をこなしながらもまだ「これで良しとはしない」積極的な活動を間近に見て、
実習できたことをよろこんだ。
みなさん、ありがとうございました。

いろいろなことを学べた実習であった。
スタッフの皆さんとの出会いとともに、たくさんのいい出会いがあった。

実習を終えた昨日、帰宅途中の電車の中から秋の花粉症の症状が出始めた。
騒々しいクシャミと止めどもない鼻水でよれよれになりながら、すすきを飾って窓越しに冴え渡り輝く満月を愛でた。
2005年9月13日(火)
きょうも実習がお休みなので職場へでかけた。
自分の職場のなんと気の休まることか!気のおけないスタッフとメンバーに感謝。
12日間の実習のうち9日間消化した。
風邪を引き……、「実習お休みにしましょうか。」と問われ焦ってしまった。
帰宅したらすぐにうがいをして風呂に入り食事をせずに薬を飲んでそのまま寝ること4日間。
実習中に薬を飲み睡魔と戦い、何度か薬でうがいをし、夜はマスクをして寝た。
まだ咳は出るがのどの痛みがだいぶましになった。
万全で実習に臨むはずが……。とにかく後3日間。何が何でも頑張るぞ!!
2005年9月12日(月)
昨日の衆議院選挙は自民党圧勝。国民はリーダーをほしがっているのだろう。
国会の採決を蹴って、踏み絵に刺客に……ありとあらゆる手だてをして、都合の悪いことは
口を閉ざし、ただただ「郵政民営化」のみを声高に叫び……自民党の作戦勝ちと読んだ。
どういう風になろうと選んだからには、国民の1人として責任を取らなければならない。
これから政治にもっと関心を持ち、独裁を許さないように見守らなければ……といってもねー。
多数決は民主主義だから。
独裁は民主主義ではないはずなのに……。
ムムムムム。
2005年9月6日(火)
12日間の実習のうち3日間消化した。
きょうは実習がお休みであったが、研修旅行で留守になった職場へでかけ1人で仕事をした。
仕事は片づいたけれど……。

友人からお茶や野菜ジュースがたくさん送られてきた。
これで元気になって、実習を乗り越えなさいというメッセージと共に!
またまた応援メッセージである。本当にありがたい!
2005年8月31日(水)
昨日、30日に小学校卒業以来、一度もお会いしたことのない先生からお祝いにとワインが届いた。
本当にびっくりした。と、同時に嬉しさがこみ上げてきた。
お礼の電話をするには昨夜は遅くなってしまったので遠慮した。
ところが今日も遅くなってしまったので、失礼を承知で電話をした。
声を聞くのも小学校以来で、顔は覚えているけれど声を忘れてしまっていた。
お元気そうでうれしい。私を応援していただいた。ありがたいことである。
お友達や後輩への応援はおしまないけれど、自分への応援もそれ以上であることを実感する。
2005年8月28日(日)
昨日の土曜日から2日間、仕事のことも勉強のことも忘れて過ごした。
なんとストレスの少ないことか。
昨夜、子どもたちは天満宮のお祭りに出かけたので、私たちは
例の住宅街に出来た温泉へ行き、のんびりと過ごした。

きょうは昼前まで家でのんびりと過ごし、買い物にちょっと出かけ、
帰宅してテレビを見ながら昼寝。夕方7人で近くの回転寿司へ。
みんなで食事をするのは久しぶりであった。
ゆっくり出来たためか、顔もシミが薄くなったように感じるほど
疲れがとれているように思われる。

シュンスケはハイハイがだいぶ上手になった。
ハイハイよりもつかまり立ちが好きで、すぐに立ち上がってしまうので
目が離せない。
鼻の頭の傷は、立ち上がった姿勢からずり落ちた時に出来たもの。
正座をして遊ぶ姿のなんと愛らしいことか。
2005年8月21日(日)
精神保健福祉士のための実習のオリエンテーションが無事に済んだ。
早く着きすぎて実習場所近くの本屋さんで本を買って読んで時間をつぶした。
んー、いよいよ実習か……。とにかくクリアしなければならない。

オリエンテーションの後、先生と駅の近くで飲んだ。二人で飲みながら話したのは
初めてである。誰の人生も平坦じゃないと考えたことである。
高校の時から素敵な先生であったが、今もやっぱり素敵な生き方をしていらっしゃる。
2005年8月20日(土)
夏休み中もほとんど休みなしで職場にいっていたので、なんだか疲れたのか3時間も昼寝をしてしまった。
明日はいよいよ実習のためのオリエンテーションである。緊張する。

シュンスケはお座りしたり、つかまり立ち(支えていないと危ない)をしたり、離乳食を進んで食べたりする。
泣いている時でもあやすと笑うのが、何ともいじらしく感じられる。
少しずつ、泣き方や笑い方、態度に彼の意志が感じられる。
日に日に成長するのがわかる。子どもってすごいなー。
子どもと生活を共に出来ることは本当に幸せである。
あの笑顔と仕草は万人の心を潤すことだろう。
2005年8月15日(月)
終戦から60年。
戦争賛成の小泉首相は、選挙に備えて持論を引っ込めて靖国参拝をとりやめ、平和宣言なるものを
発表するという。そればかりではなく近隣のアジアの国々に「お詫び」をするという。
憲法9条を「戦争してもいい」と書き換えようと言っていた人が、ひとたび権力を手にしたら
とにかく選挙前のひとときだけ体面を繕う。笑止千万だ。
笑っている場合ではない。
自民党が過半数を取った場合、特別国会で採決して可決するという。
何が何でも郵政民営化関連法案を成立させる、そのことのために全精力をつぎ込んでいる。

しかし、もし彼がまた首相になれば持論を持ち出し、今度は戦争への憲法改悪に乗り出すだろう。
反対するものを斬って、言論の自由を封じ込め自分の思い通りにしようとするのだ。
国際的な関係も危うくなること必至と思われる。
こんなことを通させていいのだろうか。なんとしても阻止しなければならない。
他の人たちは、いったいどう考えているのだろう。
2005年8月8日(月)
郵政民営化関連法案否決。
小泉首相、衆議院解散。
選挙では郵政民営化関連法案に反対した立候補者は自民党の公認をしない。
また、反対者の選挙区には強力なライバルを送り込んで、当選させない方針と
公言した。
なんたる独裁!なんたる自由妨害!
自分の権力を持って他人の自由を奪う人が政治の頂点に立っている。
こんな人を選んだのは私たち国民だけれど……、悲しすぎる。
2005年8月7日(日)
スクーリングが無事に終えた。ほっとする。
何のアクシデントもなかったことをありがたく思う。

お寺さんで盂蘭盆会。
2005年8月4日(木)
天狗家の焼き肉を食べてきた。
相変わらず込んでいる。冬でも並んでいる状態なので、夏は並ぶのは当たり前。
それでも30分ほど並んで食べることが出来た。おいしい!

昨日は友人から電話があり、体の調子がかなりよくなっているようなので
本当にうれしい。
みんな、元気でいてほしい。自分も元気でいなくてはいけないと思う。
2005年8月1日(日)
専門学校のスクーリングがお休みなので出勤した。
職場にすれば普通の月曜日であるが、私にすればスクーリングの最中の休日。
夜行バスで出かけて宿泊し、スクーリングを終えた後夜行バスで帰宅してそのまま出勤した
あの大学のスクーリング時を思えば、仕事にいけることがありがたい。
遠くから通ってくる人、宿泊してスクーリングを受けている人も今回けっこうおられるようだ。

今週いっぱい仕事を休んでのスクーリング。
職場の理解なしには実現しないことだと肝に銘じている。
感謝!
2005年7月31日(日)
スクーリングの帰り、駅前で阿波踊りを見ることができた。
ここ大和に住み始めてから始まった阿波踊りは年々盛んになり、
いまでは町おこしの指導に出かけているらしい。

猛暑の中、踊り、鳴らしているのをみているとその一生懸命さにちょっと涙ぐんでしまう。
大きなメキシコマンゴーを買って帰宅した。
2005年7月30日(土)
瞬く間に日は過ぎていき、とうとう専門学校のスクーリングの日がやってきた。
今日は初日。
精神保健福祉援助技術各論であった。長野大学の宮崎まさ江先生が講師をしてくださった。
わかりやすく、気持ちのいい講義であった。先生、ありがとうございました。
先生のお人柄の良さが現れていた。
若い人たちが活躍しているのをみるのは頼もしく嬉しいことである。
出会いに感謝。

専門学校の講師陣もスタンバイしていたのには驚いた。
本当にお世話様でした。
また、明日から7日間よろしくお願いいたします。
2005年7月24日(日)
来週からスクーリングが始まるので、昨日町田の桜美林学園まで下見に行ってきた。
7時過ぎには家を出て行かないと間に合わないようなので、朝に弱い自分がうらめしい。
23日の昨夕、4時35分に関東地方に震度4から5ほどの地震があった。
その時間は桜美林学園からの帰宅途中のバスの中にいて、町田の駅についても気づかず帰宅した。
あちこちの駅がやけに騒がしいなと思いながら気にもとめずにいた。
家族から電話があり「地震大丈夫だった?」といわれ「はあ?」という感じ。
きょうも朝からお見舞いの電話をいただいたが「気づかなかったのよ」と大笑いした。
まあ、その程度で済んだからよかったけれど、本当にどこで災難に遭うかわからないものだと
つくづく思わされた。

先週にはレポートを何とか仕上げ、今日は文章のレポートを書き上げた。
やれやれ。
2005年7月16日(土)
むしむしする日。
シュンスケをおんぶして犬の散歩。汗だくなので二人でお風呂に入る。
彼はハイハイが出来つつある。少し遠くのものを取ろうと、必死で「動いて」つかむ。
成長が目覚ましく、感動的である。
笑う顔がなんともいえずかわいい。泣いても笑っても可愛いく愛おしい。

シュンスケたちを病院へ送り迎えし、一人で昼食。テレビを見ていたがいつの間にかうたた寝。
あわてて掃除をしたあと4時頃になって猫たちを4匹ともお風呂で洗う。
その間、HPの更新をしたり、メールの整理をしたり……。
今日も勉強しないまま過ぎたが、身体は休まっているはず。
のんびりした割には、こうして書き出すとなんだかんだと動いていたのかな。疲れた気がする。
2005年7月10日(日)
少しずつ仕事が片づいてきて、ほっとする。
気持ちを職場に残しながら、それを振り切るように8日、9日と市作連の職員研修へ。
山梨県の下部温泉でグループに分かれて作業所紹介などした。
うちの作業所は他の作業所とは成り立ちも運営も違っているため、はずされている感じ。
それぞれ違ってそれでいい。
利用する人が選択できるようなさまざまな作業所があるのが望ましい。

友人から、5月にはアスパラ、昨日はトウモロコシをいただいた。
どちらも甘くておいしい。贅沢な気分を堪能した。

鹿児島のHさんからたくさんいただいたスモモを、ジャムにしたり焼酎に漬けてスモモ酒造りをした。
ジャムはおいしくきれいにできた。早速パンに付けて食べてみた。美味!スモモ酒も楽しみ。

HPの更新をしたりしていたら、無性に眠くなり3時間近くうたた寝状態。
レポートを書く予定が、テキストを開けることさえないまま日付が変わろうとしている。
明日からまた、時間に追われる日々が始まる。時間を追う日々にしたいものだ。
2005年7月3日(日)
昨日は仕事を片づけるために休日出勤をした。
昼休みに食器棚を片づけたりして……、本当に余計なことをして疲れている。

久しぶりに友人と飲む。んー、可もなく不可もなく。
頭は仕事のことでいっぱい。
2005年6月29日(水)
職場の休憩室となる部屋にエアコンを寄付していただいた。
本当に助かっている。感謝である。
とにかく、我が家から持っていった扇風機がフル稼働状態であるが、どうにもならない。

肩の痛みや首の痛みは取れている。問題はかぶれだけだがこれもそのうちに治るだろう。

また、期限ギリギリのレポート提出。なかなか、精一杯勉強して得心のいったレポート
提出ということにならないのが残念だ。
2005年6月28日(火)
主人にも2日間手伝ってもらって、職場は今日引っ越した。
動力のエアコンが2台とも壊れていて使えない状態なのに、
今日は記録的な暑さ。隣の市では37度を観測したとか。
日頃の疲れもあるのでくらくらしながらの作業となった。

とにかく、仕事が忙しいのでパソコンは使える状態にしてもらったので助かった。
Sさんがたくさんのお菓子を持って来て下さったのに、近くのコンビニへいって
お茶を買って来ることも忘れて、ただただ暑さに耐えながら話していた。
申し訳ないことであった。
2005年6月25日(土)
「権利は誰のもの?」と題して講師 障害者インターナショナル(DPI)日本会議・障害者権利擁護センター所長の
金 政玉(キム ジョンオク)氏の話を聞く。

『当事者主権』中西正司・上野千鶴子著 岩波新書 2003年 を読んでいるところだったので
理解しやすかった。
それにしてもこの本、1年以上もかけてまだ読み切らない。いかに本を読まない自分かを
知って愕然とする。
2005年6月19日(日)
6月17日、Tさん50歳で亡くなる。18日の通夜から泊まり告別式に参列してきた。
主人が見舞ってから10日しか経っていない。私も見舞いに行くつもりだったのに……。
本当に無理をして疲れたのだろう。
Tさん、お疲れさま。ゆっくり休んでね。
ご主人のことをあちらから見守ってやってください。お願いします。

いつ死んでもいい……と、悔いのない日を過ごすよう精一杯やっている……と考えていた。
でも、Tさんの死はあまりにも悲しくて、ああ、だれかをこんなに悲しませるなら、
やっぱり自分の身体を大切にして、元気でいなければいけない。
2005年6月16日(木)
職場の印刷機が新しい場所に引っ越しをしていった。
なんとなく、ばたばたしている。
仕事もいよいよ忙しく、身体も疲れて抵抗力が落ちたせいか、湿布した後がかぶれて
ひどい状態になってしまった。こんなのは初めて。
2005年6月13日(月)
風邪が治ったと思ったら、今度は4日前からの肩の痛みで病院へ行って来た。
加齢のため、身体に相当ガタがきているようである。
動かずにいても肩が痛む。肩は回すことが出来る。でも首は痛くて回せない。
レントゲン結果は異常がないらしいく、「肩こりのひどいもの」という診断であった。
仕事でマウスを握り続けていたせいではないかと、勝手に判断している。
痛み止めと湿布薬を処方された……。

職場でも自宅でもやらなければならないことだらけで、そのくせ大して捗っていないために
疲れている。一つずつ片づけていくしかない。
2005年6月8日(水)
千葉の友人を見舞いに主人が一人で出かけた。
仕事を休むことが出来る状態ではなく、一緒に行けずじまいであった。
あまり様子がよくないとのことで、気がかりである。
2005年6月5日(日)
「どうすれば福祉のプロのなれるか」という講演を聞きにいった。講師は日本女子大教授の
久田則夫氏。演題と同じ名前の本を買い、サインをしてもらった。
沸々と闘志が湧いてきて、いつかきっと自分の持ち味をいえるような人になりたいと思えた。

佛大の先輩であるHさんに、疑問に感じていたことを解いてもらうことができた。
Hさん、ありがとうございました。貴重な時間をお借りしまして申し訳ありませんでした。

咳も取れ風邪が完全に治ったようである。長引いた……。
2005年5月28日(土)
26日、Nさん夫婦が我が家に着きお茶を一杯飲んでから朝6時半に家を出発、信州へ。
軽井沢の万平ホテルでブルーベリータルトと紅茶をいただく。
万座温泉のプリンスホテルで露天風呂などを楽しむ。志賀高原は雪の残る渋峠を越えて
上林温泉へ。せきやという宿では全員が食べ残すほどのご馳走が出た。どれもおいしかったので
もったいなく思えた。笹寿司は懐かしくいただいた。ここでも、温泉を充分楽しんだ。

翌朝、上林温泉の近くの道の駅により、小布施で北斎記念館にはいったりお土産を買ったり、
お店を覗いたりして散策。昨日と同じで昼食はおそば。今日もおいしいおそばであった。
野沢温泉には明るいうちにつき、住吉屋に到着。
先ず宿の温泉に入った後、13の外湯をまわりたくて1時間で6外湯をクリア。
食事のため戻り、食事後また6湯をまわった。宿に戻ってまた内湯を楽しむ。
食事は山菜中心で量はちょうどよく味のよいものであった。大好きなグリーンアスパラの甘いこと!
あ〜あ、満足満足。風邪が治って本当によかった。

朝、残りの滝の湯にいった。こぢんまりとした外湯であった。
宿の人と山菜取りに行く予定だという二人のご婦人と話が弾んだ。
帰ってきてまた宿のお風呂に浸かった後、朝食。
馬曲(まぐせ)温泉に寄り、眺めのいい露天風呂を楽しむ。朝10時過ぎには
20名近くの人が一緒に入っていたが、お風呂が大きいので人が多い感じは
あまりしない。
五月晴れの空の下、辺りの緑もさわやかでわたる風は肌に心地よかった。
善光寺にお参りし、参道をゆっくりと歩いた。山門が工事中で残念であった。
昼食はおそばはやめてラーメンになったが、これもおいしかった。
家に向かい、いつものように崎陽軒で夕食を食べ帰宅した。

今回もNさん夫婦の細やかな心遣いに包まれた、くつろぎの旅であった。
いつもいつもありがとうございます。感謝してもしたりないくらいです。
野沢温泉での「13外湯」が染め抜かれた手ぬぐいをありがとうございました。
思いがけないプレゼントに、お二人のユーモアと思いやりを感じました。

800km近くを運転歴2年目の主人が一人で運転した。
すごいね。お疲れさまでした。
2005年5月25日(水)
昨日24日は早退させてもらってひたすら寝ていた。
今朝はだいぶよくなって、熱がやっと取れたのがわかりホッとする。
とにかく、一週間も38度前後の熱が続いたのは初めてで、「歳を侮るな」と
あちこちからいわれた。年齢のせいかなぁ……。
2005年5月21日(土)
18日は朝から風邪のために体がだるく、早退するかと考えたが、規定通り6時まで仕事。
帰宅後そのまま寝た。氷枕などしてもらうがどうにもだるさがとれない。
19日朝、出勤できる状態になく休む。午後から新しい場所の契約をする約束があり、出勤。
契約後そのまま帰宅、病院へ。ただの風邪。熱とのどの痛みと重い咳とだるさがある。
昨日20日も休んだので、今日はずいぶんと楽になった。熱も下がり、職場の行事に参加。
身体がふらついてはいるものの、気力は出てきた。帰宅後すぐに眠る。

どうも、調子が悪くなる前に、ブレーキをかけることが出来ず、倒れるまで頑張ってしまう
ところがあるようだ。危機管理をちゃんと出来るようにしなければならない。
さあ、明日はレポートを仕上げなければならない。
先月提出したマーク式レポートが採点されて戻ってきた。30点満点中22点。
うーっ、もう少し自信があったのに……。甘くない。前途多難の予感。

Sがまた熱を出している。今度は風邪だろう。シュンスケも生まれて初めての風邪。
二人とも、咳をしている。
いつかSに言わなければならない。毎日出かけないで、少しは家にいてシュンスケも
自分も休むようにと。新米専業主婦は忙しく疲れるのだから、その分休まないとね。
病気になっていいことなんか何もないんだから。
2005年5月17日(火)
昨日からのどの調子が悪く、風邪のようなのでうがいをしたり、マスク着用のまま寝ている。
薬を飲んでものど飴をなめてもすっきりしない。
花粉症が治ったのに、今度は風邪の鼻水か?と家族に笑われる始末。
何とでも言って。私は疲れた……。
2005年5月15日(日)
15日の昨日は14日と連続で大和市民祭り。
朝9時から模擬店の手伝いにいく予定が、10時になってしまった。
13日の徹夜が身体の疲れに響いていたためだ。
祭りは盛況であったが、昼頃に瞬間大雨。
それでも、すぐに日が差してきた。
焼きそば、フランクフルト、うどん、ビール、コーヒー、コーラ、お弁当完売。
立ち通しで疲れた。

性懲りもなく、あじさいやばら、ブーゲンビリア、シシトウの苗などを買い込む。
自転車では持ちきれないので、車の応援をたのんだ。
足がつって自転車をやっとの思いで漕いで帰る。
花と苗を地植えにして、一安心。鉢のままだと枯らしてしまうのだから。
2005年5月14日(土)
アッという間の1週間。
13日は、試験問題の更新をせねばと必死にやっていたら、朝の5時半を
廻り夜が明けてしまった。
14日のこの日は福祉士会の総会などがあるので、少しでも休まねば……と床についたが
7時前に起きて、主人を職場に送っていった。犬の散歩だ、掃除だとパタパタしていたら、
職場から持ってきた印刷物の納品に行かなければならない時間となり、届けた。
その足で、総会、研修会。研修会は聞き逃せない話で有益であったにもかかわらず、
睡魔にやられて2回ほど意識不明に。
帰宅し、主人を迎えに行き、今度は送別会に。
疲れたーあ!もう徹夜は出来ないなぁ。
2005年5月8日(日)
大型連休最後の日。なんとごろごろして過ごしてしまった。
テキストを寝て読みながら……気分が沈んでいくのを感じていた。
何もしたくない……。
母の日であることをカーネーションの花束をもらって知った。
ありがとうSとM。母であることがうれしい。
Kさんが来宅し、連休中に出かけたお土産を持ってきてくださった。
湯治のようにして、一週間温泉宿でのんびりしてきたという。
あーあ、よだれが出るほどおいしい話ではないか!じゅるじゅるる。
いつの日にかそうした時を過ごしてみたい。同じ宿に何泊もして温泉三昧……、いいねー。

花粉症はほとんどなくなったが、まだ朝にクシャミをしたり鼻をかんだりする。
今年は長かったー。
さわやかな季節になった。陽の光も木々の緑も風もキラキラしているように感じられる。
それでも外に一歩も出ないまま過ごした。一日ってほんとに早く過ぎてしまう。寝ている時間が長いせいかな。
寝ているお陰で、異常に腫れ上がった歯茎が少しずつ腫れが引いてきている。歯茎の腫れは原因不明。
疲れかな?思い当たるほど疲れていない気がするが。
やれやれ歳を取るということはこういうことでもあるのだね。
2005年5月5日(木)
大型連休第七日目。
もう一週間が過ぎてしまった!勉強があまりに捗らないことに愕然とする。

30日は友人たちが来宅し、シュンスケの誕生を祝ってくれた。
5月1日は、職場の仲間に新しい家をみせてもらった。明るくていい家だ。
すごい頑張りでそのけなげさが胸に迫る。
2日、台所のレンジフードなど掃除したりして、主婦っぽくしてみた。
3日、兄夫婦が来宅しシュンスケの初節句を祝ってくれ、一晩泊まっていってくれた。
4日、麻雀に明け暮れる。夕飯を食べてから兄宅まで車で送る。
両日とも食事を用意して、また主婦をしてみた。
5日、きょうは朝からシュンスケの初節句とお食い初めの準備。まず、お祝いの買い物。
祝い膳の用意。娘夫婦を呼んでお祝い。すべてSがやり、私は側で補佐しただけ。
本当によくやってくれている。ありがとうS。

シュンスケは大きくなった。真っ赤な地に「金」という字を白く抜いた腹掛けをして
紙で作ったかぶとをかぶり、「何事かな」といった感じでビデオや写真に納まっていた。
お食い初めのお吸い物を口に含んで、妙な顔をしながらそれでも上手に飲んでいた。
息子夫婦がかわいがって育てているのを見ていると、嬉しくありがたい思いでいっぱいになる。
シュンスケ、我が家に来てくれてありがとう!
思いやりのある、自律・自立した元気で明るい大人になるよう祈っているよ。
2005年4月29日(金)
大型連休第一日目。
スポーツクラブ メガロス大和の無料体験に参加。久しぶりに運動して気分がいい。
クラブのスタッフたちのキビキビとして言葉もはっきりしている様子がよかった。
お金がなく、時間もないので入会は見合わせた。

兵庫県尼崎市のJR福知山線で4月25日朝に起きた電車脱線事故は、死者106人、負傷者461人という
大惨事となった。何とも痛ましい。
2005年4月23日(土)
横浜市旭区民文化センター 二俣川サンハート・ホールでの「語やびら平和世(かたやらびへいわゆー)コンサート」
に出かけた。
「キャンプ座間に第一軍団は来るな!」「辺野古の海に基地はいらない!」のスローガンを掲げたいろいろな
人たちのスピーチがあった。中でも参議院議員の糸数慶子さんの訴えが心に響いた。
とりわけ長崎の原爆投下後、献身的に活躍された永井隆博士が博士の子どもたちに残した言葉には
涙を禁じ得なかった。それは、「武器を持たない、侵略されても戦わないという日本の平和憲法を守りなさい。」と
いうことばである。例え他人から石を投げられても、二人だけになっても憲法を守りなさい。といった主旨の
ことばである。
いま、9条を変えていこうとする動きが強くなってきている。永井博士がまさかと考えていたのに、
それを現実にしようとの動きがあるのだ。憲法は国を縛るものなのに、国民を憲法で縛って国の思い通りの国民を
育てようとしている今の総理。絶対許せない!
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/heiwasengen/sengen_j.htm

ボヤボヤしてはいられない。きちんと声に出していかなければ。まず、家族から。

元ネーネーズのメンバー、平野幸乃・宮里奈美子両名と我如古隆さんのコンサートは
心地よい時空間であった。
2005年4月18日(月)
ゲシュタルト勉強会にたっての希望で参加。
けれども、深い失望感を持っている。
本当に久しぶりに顔の皮膚がピリピリする感じの嫌悪感を味わった。
「お金」に対する姿勢、主義主張と研修とのギャップ等から胡散臭い感じを身体で感じたらしい。

他人をおとしめたり、傷つけたりしてまで自分の感情を表出する必要があるのか。
それともこの傷つきが大切な経験なのか?
意図が読めない。
自分に合わないものにかかずりあっている時間はない気がする。

ここまで気分を害するのは久しぶりなので、こうして怒れる自分がちょっと好き。
2005年4月10日(日)
今年もまた二宮のKさん宅へ出かけてきた。
皆さんお元気そうで安心し、いつも心地よい思いにさせてくださる心遣いに
申し訳なくもありがたく感謝である。
ほんとうに見事なほどたくさんのご馳走を用意してくださり、食べきれない分を
いつもお土産として持たせてくださる。今年もどれもおいしく、ありがたくいただいた。
あのお母さんをはじめとする皆さんの気配りが、Kさん宅の気持ちのいい雰囲気となり、
暖かい家庭となっていることを感じる。
今年もまた、暖かさに包んでくださりありがとうございました。

二宮までの往復は、芽吹きと桜で春まっさかり。すてきなドライブであった。

子どもたちは友人たちと下の公園で花見をした後、家の前の道路でバーベキューをしていた。
親の私達もよくご近所の人たちとしたけれど、子どもたちもそれぞれの家族と楽しんでいるのを
見たら、なんだか嬉しくなった。
外で楽しんだ後、家に入って飲み直すことも同じである。小さな子どもたちも楽しげであった。

昨日、9日は花粉症でめげていたがやっぱり一気に咲いた桜を間近に見たくて、すぐ下の
ふれあい広場や親水広場に出かけて写真を撮ってきた。
大好きなケヤキも芽吹いて柔らかなみどりの葉を風に揺らせていた。
芝桜は濃いピンクの絨毯と化して土手を覆い、桜は満開!雪柳もぽってりと花を付けて桜に負けていない。
花桃も咲き、こぶしも盛りであった。チューリップもきれいに咲いていた。
これだもの、この目で花を見ずにはいられない。
花見客は朝早くから花見の場所取りをして、バーベキューをしたりして楽しんでおり、にぎやかなことであった。
春爛漫!
2005年4月7日(木)
仕事を休んで銀座の歌舞伎座へ。
中村勘九郎改め勘三郎襲名披露で、席は前から九番目で真ん中。いい席でおいしいお弁当とお茶付き。
気のおけない隣家の人との見学であったから、ゆったりした気分で楽しむことが出来た。

ひらかな盛衰記(源太勘当)では源太(七之助)、千鳥(勘太郎)、景高(海老蔵)、延寿(秀太郎)。
海老蔵の軽妙な演技が光っていた。
京鹿子娘道成寺(道行より押戻しまで)では白拍子花子(勘三郎)、大館左馬五郎(團十郎)、所化(芝翫)。
勘三郎は美しく、舞う身体と表情から表現しているものがわかり、力量を感じた。
与話情浮名横櫛(木更津海岸見染の場・源氏店の場)与三郎(仁左衛門)、お富(玉三郎)、鳶頭金五郎(勘三郎)、
和泉屋多左衛門(段四郎)、五行帝相生(源左衛門)、蝙蝠安(左團次)。
仁左衛門と玉三郎の美しさといったら……。はーっと思わずため息が出るといった感じ。
けれども、源氏店の場は強弱のない演技でちょっと拍子抜けであった。
隣に座っていた見知らぬ女性は、眠っていた。
評は、歌舞伎を全く知らないので独断と偏見を持って書き記す。

抽選に申し込んだ主人に、抽選に当たったことに、一緒に行ってくれたお隣さんに、いい演技を見せてくれた
役者の皆さんに、仕事を休ませてくださった職場の皆さんに感謝です。ありがとうございました。
2005年4月4日(月)
クラスメートの千代ちゃんの訃報が届いた。昨日3日の夕方7時に亡くなられたという。
難病にかかり、年々状態の悪化する自分の身体をどうすることもできずにいたあなたは、どんなにか残念で悔しかった
ことでしょうね。
お嬢さんが良く面倒を見てくださり、少しは安心ではあったでしょうが、さまざまな思いを胸に押さえておられたのでしょう。
働き者で我慢強く、色の白い本当に美しい人でした。あなたと出会えたことを感謝しています。ありがとうございました。
どうぞ、ゆっくりと休んでください。本当にお疲れさまでした。心からご冥福をお祈りします。
2005年4月3日(日)
昨日2日に城山のかたくりの里に出かけた。http://www.katakurinosato.com/
満開のかたくり。いつもは咲き終えているしょうじょうばかまがたくさん咲いていて、
久しぶりに満足のいくかたくりの里であった。
しょうじょうばかま、黄花せつぶんそう、ゆきわりそう、黄みつまた、紅みつまた、岩かがみ、つばき、あせび、ひめこぶし、
紅こぶし、ひかげつつじ、菊咲いちげ、あずまいちげ、こひかんざくら、日向みずき、豊後梅、まんさく、くろもじ、山こぶし、
だんこうばい、長寿櫻、うぐいすかぐら、ぼけ、玄海つつじ、さんしゅゆ、エンレイ草、花ネコノメ草、すみれ、やしおつつじ、
みやましきみ、こばいも草、チャルメル草、二輪草、つるぼ、おきなぐさ、福寿草などが色とりどりに咲いていた。
いつもは遅く咲く黄花かたくりも咲き始めていた。出しょうじょうも赤い芽を出していた。
ほうきもも、もくれんなどはこれからといったところ。

きょうは家族とかたくりの里にまた出かけた。昨日よりも天気がいいせいか、「かたかご(傾いた籠の意)」の名前の由来通り
くるくると花びらが丸まって、籠のようになっているために花が小さく見えてしまい、ほんの少しだけ寂しい感じである。
通常、かたくりの花は6弁であるが8弁のかたくりを今年も見つけて、思わず知らない人に声をかけて教えてしまった。
突然変異であろう。白花かたくりも突然変異のようである。
かたくりは薄紫、ピンク、薄いピンクといった微妙な色合いの百合状の花を咲かせる。小さな花びらはグラデーションがかかり、
おしべやめしべのあるところは精巧な模様がある、何とも愛らしく、また高潔さを漂わせる花である。
毎年、ああ今年も会えたなと思う。
田山ゆき子さんの絵手紙展もやっており、ほのぼのとした気持ちにさせられる絵手紙である。
2005年4月1日(月)
歌舞伎座の中村勘三郎襲名記念講演の招待切符が抽選に当選した。
何という幸運!
主人は仕事で行けないので、お隣さんと出かけることにした。楽しみなことである。

今年も西宮のEちゃんからイカナゴの釘煮が届いた。相変わらずおいしい。
なかなか送られてこないので、すわ!病気か?と催促のメールを送ったのは3月27日。
返事もない、電話をしても留守。入院でもしているのではないか……、気が気ではなかったが
分刻みのスケジュールをこなしていたとのこと。
それを聞けば、なんて忙しいのに余計忙しい思いをさせてしまって……と申し訳ないことであった。
ありがとう、Eちゃん。いつもより大きく育ったイカナゴもおいしかったよ!
Sもとっても好きで、家族全員で食べているよ。
もちろん友人にも「お友達の手作りなのよ」自慢しながらお裾分けしてるけど、みんな大喜びである。
2005年3月27日(日)
25日、主人の卒業式に同伴した。京都は寒く、雪が舞った。
昨年同様、厳かなうちに式が執り行われた。
また、昨年同様関東甲信越の学習会の役員の方がお祝いの席を設けてくださり、主人の学友と
一緒に参加することができた。
役員の方が昨年と同じ方で、相変わらず気持ちのいい席であった。ありがとうございました。

お祝いの席に行く前に鈴虫寺に行ってわらじを履いているお地蔵様に
お願い事をしてきた。
鈴虫寺からの帰り道で車から大きな虹を発見。虹のトンネルをくぐり、
さい先の良さを予感しながら会場に向かった。

26日朝早く、特急「くろしお」で白浜温泉へ向かった。
駅で予約したレンタカーに乗り込み「奇絶峡」に向かい、不動滝や魔崖仏を見ることができた。
「動鳴気峡」を探してみたら、ただの沢とちょっとした岩があるだけで拍子抜けしてしまった。
田辺市に行き、闘鶏神社では湛増と弁慶の像を見たり、弁慶の産湯の釜を見せていただいたりした。

円月島、三段壁、千畳岩などを見て回り、宿について温泉に。
宿の温泉は、懐かしいような香のする湯であった。
「牟婁の湯」「白良湯」という温泉浴場にも入りに行った。
温泉三昧といった感じで、宿の人があきれていた。

翌朝、27日はまず宿の温泉に入った後、「崎の湯」へ。海のなかにせり出して
波しぶきを浴びながら入ることができる。出てきたら魔崖仏があり驚いた。
満足して出た後、一路那智の滝へ海岸線をひた走った。
憧れの那智の滝は本当に豪快な感じで見事であった。
「三重の塔」や世界文化遺産の「青岸渡寺」「熊野那智神社」を見て回った。
桜が咲いていた那智の山。山と滝が好きな自分を改めて知らされた気がする旅であった。
帰りは新宮から川湯温泉を通って白浜駅に帰り、飛行機で1時間弱、予定通り羽田に着いた。

2日間、車の運転をしてくれた主人に感謝。
3日間、ロンの散歩をしてくれた娘たち、ありがとう。
留守宅ではミーナにかまれた息子が、ひどいことになっていた。
2005年3月21日(月)
義父が昨日来宅した。90歳で一人暮らしをしており、茨城県から一人で電車を乗り継いで
来てくれる。「足が弱った」といいながら、我が家まで。
本当にありがたいことである。
お墓参りに行ったあと、飯山観音、宮が瀬へと車を走らせた。
温泉にでも……というと、「ぼくは入らないからあんたたちだけ入ってきなさい。」と言う
ので温泉には行けない。ドライブが好きだというので、車に乗っていることを目的にすることにした。

杉の花がたわわに赤く色づいている山は、風で飛んだ花粉で少しかすんで見えた。
帰宅したらすっかり疲れて、1時間ほど眠ってしまった。
食事を用意して食べ終わり後かたづけも済ませ、パソコンに向かっていたら花粉症のために
鼻が炎症を起こし鼻血が出た。あーあ、今年もやっぱりしっかり花粉症に冒されている。
唇もかゆさで腫れ上がっている感じ。無駄なエネルギーを費消している気分はぬぐえないなー。
2005年3月13日(日)
今日、主人の卒業決定通知書が届いた。
「あれ、おまえの時もこんな通知届いたっけ?」とさすがに嬉しそうにしていた。
さあ、久しぶりに近くの温泉にでも浸かってこようと七沢温泉に出かけた。

日向薬師にお参りし、その近くの小さな梅園を見たりしていたら、雪になった。
行商のおばさんから伊予柑やハッサクを買い、薬師寺ではエニシダの鉢を買って温泉に。
薄日が差している空から雪(あられのようであった)が降ってきていた。
露天風呂で温まった体に触れてはすぐに融けてしまう雪。お気に入りの初めての経験。
そのうち、日が差してきてすっかり明るくなってきた。これもまたいい風情。
露天風呂で本など読んで過ごした。

先週は職場から早退したり、あげくはお休みしたりしたが体調もだいぶよくなってきた。
疲れはまだ残っているらしく、温泉から帰宅後床に入って眠ってしまった。
夜11時頃に起き出し、HPの更新などして……、さてまた眠ることにしよう。
花粉症は今年も忘れずにやってきて、目の痒さにたまらずこすってしまう。
頭がぼーっとなって、体がだるくならないことを祈るのみ。

日記を読んだ友人たちから「身体、大丈夫ですか」とお見舞いの言葉をいただいた。
ご心配掛けて済みません。もう、ほとんど大丈夫です。
ありがとうございました。
2005年3月6日(日)
昨日5日に合格通知が届き、主人の卒業が決定した。
おめでとう!よく頑張ったね。
これで本当にホッとした。公約通り5年で卒業できたね。
卒業式に出席した後、ゆっくり白浜温泉に行ってこよう。

昨日、例の胃痛がしだして嘔吐し、あせびっしょりになってひたすら耐えた。
夕方遅く主人の合格のニュースを聞いて、少し気分が良くなったような気がしたが、
今朝もまだすっきりしない状態であった。
運転試験場まで免許の更新に行ったが、ぼんやりしていたらしく落とし物を2回。
試験場にいる間に1回目のは拾ってもらったが、2回目のは家に帰って気づいた。
試験場の落とした場所にあったからよかったが。
主人に車で送迎してもらっていたので2往復してもらってしまった。
申し訳ないことであった。
帰宅し、そのまま蒲団で休んでいたが、まだ違和感と痛みが時々ある。
最近、身体的にあまり元気じゃない自分がいる。加齢によるものか……?
2005年2月27日(日)
兄夫婦が昨日26日久しぶり……何年ぶりかで来てくれた。
学校に行っている間は、時間がなくてゆっくりしてもらえないので
連絡は電話のみにしていたので、やっと会えた気がした。
子どもたちへのお祝いを持ってきてくれたのだが、本当にありがたいことである。
何年ぶりかで麻雀をした。
S以外みんなできるので、にぎやかなことであった。
帰りは電車で来た兄たちを自宅まで主人と送っていった。
車の運転をおっくうがらない主人に感謝である。
2005年2月20日(日)
シュンスケの初宮参り。横浜の伊勢皇大神宮へ。
ちょうど雨も上がってきたので、若夫婦と3人で出かけた。
厳かさがまるでない、何とも簡略きわまりないものであった。
あれでいいのか伊勢皇大神宮。

誕生日。Kちゃんから忘れずにお祝いが届いた。
今年は渋めの若草色のマフラーとブレスレットで春をいただいた。
おいしそうなジャムと、真っ赤な唐辛子の小さな花束を添えて。
いつもありがとう!
生を受けたからには、この命を全うしたいものだ。

18日から19日にかけて伊勢原のニュー天野屋で県央障作連の研修会。
税金の話は非常におもしろかった。
乗り気のしない興ざめな研修会であったが、もちろん問題は私自身にある。

19日の昼過ぎに帰宅し、着替えをしてNさんのお母さんの通夜に出かけた。
横須賀まで1時間弱であった。帰りは友人のMさんに車に乗ってもらい
2人で大和まで帰ってきた。やはり1時間かからずに帰宅した。
2005年2月17日(木)
成年後見制度の事例研修4回目。
3月にあと1回を残すのみとなり、始めてから4ヶ月が過ぎた。
研修を受け続けることで、制度や問題を身近に感じられるようになってきた。
少しずつでも学習を積み重ねていって、いつか社会に通用する力を付けていきたいものである。
2005年2月14日(月)
シュンスケは14日の病院での1ヶ月検診で、4kgになっており1500gも体重が増加したとのことであった。
母子ともに何の問題もなく健康だということで本当にホッとする。
Sの頑張りのお陰だよ。ありがとう。
2005年2月13日(日)
久しぶりにかっちゃん宅に行った。相変わらず見事に片づいており、気持ちのいい家である。
どうしたらあんなふうにきれいに片づけられるのか。
毎日掃除機をかけ、ぞうきんがけをしているお陰で、猫の毛もあまり舞わずにそれなりに
気持ちはいいけれど、いかんせん「片づいている」といった感じからはほど遠い。
我が家は、「なんかくつろげる家だ」と何人かの友人にいわれたことがある。
それでよしとするか。

久しぶりに友人と飲んだ。魚民で6時半頃に会い別れたのが11時半。
5時間、あーでもない。こーでもない。といいあっていただけ。
それだけで、気分が晴れたり心のどこかが満たされたりすることもあることは事実。
全然酔わない。気分良く「よったなー」とたまにはなってみたいような……。

京都に試験を受けに出かけた主人は、夜行バスで今朝帰宅した。
お疲れさま。合格しているといいね。
2005年2月11日(金)
せっかくの休日もサービス出勤。
忙しいのは職場のためにはいいのだけれど、個人的にサービス残業やサービス出勤は
歓迎しない。
こういったところが作業所のジレンマかな。
2005年2月9日(水)
シュンスケはもう少しで1ヶ月である。
小さかったのに、ほっぺはふくっらとしてあごもぷっくりしてきた。
身長も伸び、体重も増えたのが分かる。
何とも可愛くてたまらない。
こうして愛おしい者たちに囲まれた生活ができ感謝以外にことばがない。
もったいないほどのありがたさを感じている。
ありがとうございます。

サッカーワールドカップへの第一戦は北朝鮮に2対1で勝った。
家族全員でワーワーと応援しながらテレビ観戦した。
「あ、危ない、危ない」
「危なくないよ。攻めてんだよ。お母さんは昔からあまりサッカー見てなかったでしょ。
 なんか観戦の視点が違うんだよね」
「うん、あなたがやってた時もあまり関心がなかったからね」
とかいった会話も交えながら。
2005年2月6日(日)
社会福祉士会の支部会研修でドメスティックバイオレンスの講演があり出かけた。
周りではあまり見聞きしない件であるが、知っておく必要がある。
人権問題としてとらえなければならないが、当事者にとってその意識が
あまりないのが現状のようだ。

昨日、昼頃から胃痛がひどくなり夕方6時頃に病院に行った。
処方された痛み止めの薬を飲んだが、のたうち回るような苦しさに、夜10時頃また同じ病院へ。
医師が言うには急性胃炎と思われるので、痛むのは仕方ないし、そんなにすぐには痛みは治らない
と言われ、今度は吐き気止めを出してもらった。
痛み止めと吐き気止めは相反する作用をするという。
吐き気止めが効いたのか、吐き気も苦しさも治まって朝を迎えることができた。
精神的にも身体的にももろい自分が情けない。
んー、というよりストレスがそれだけ強いのかも知れないなぁ……。

友人などから「よく頑張ってるね。」と言われる。
その度に、実は私は怠け者で……と恥じ入っていた。
フルタイムで働きながら朝5時に起床している友人をみると、私はいったい何やってんだろう。
家をきれいに片づけている友人を見ると、私は本当に怠け者だと自分に活を入れてきた。
しかし、今日気づいたのだ。
私は本当に頑張っている人だと。よくやっているんだと。
仕事をして、勉強も、家事も全くしないわけではなくこなしている。サイトの管理もしている。
あちらこちらに気遣いをして、家計をやりくりしている。
私が、私自身を認めてやることが一番大事だ。
私は、本当によくやっている。身体を壊さないように頑張ることも技量の一つと心得よう。
2005年1月30日(日)
友人に笑われるほど、しゃかりきに家事をこなしている。
でもそれって普通のことじゃないの、とのたまう友人。
そう、そうなんだけど今まで普通じゃなかったので、どこまで続けられるか
不安なほど、いっぱいいっぱいの生活。
Sの床上げが済むまでだから後1週間ほどなので何とか持つだろう。

1日中、家事に追われていた。久しぶりに押入の自分のスペースを片づけたり、
パソコンまわりを掃除したり……、最後は近くのスーパー銭湯へ。
気分良くでてきたところで事件に遭遇。
すっかり気持ちが萎えてしまった。
人の気持ちが理解しにくい世の中になっているのを感じる。
私は、あの場で何か行動を起こしたかったけれど、何もせずに帰ってきた。
もやもやした思いがあって、気持ちが落ち着かない。
2005年1月23日(日)
Sの出産祝いと娘たちの結婚祝いを兼ねてお赤飯でお祝いをした。
しみじみと幸せを感じる。
私達は幸せだよ。こうしてみんなで赤ちゃんを心から愛おしく思える
気持ちの余裕があるんだから。
大切に育てていこうね。

17回社会福祉士国家試験、お疲れさま。合格しているといいね。
友人たちもみんな合格していてほしい。
2005年1月19日(水)
Sが赤ちゃんと退院。
お帰りなさい。
みんなで仲良く暮らして、ますますいい家族関係を一緒に築いていこうね。
2005年1月14日(金)
2005年1月14日 夕方4時15分、Sが男児出産。おめでとう!
12日夜、破水してからじつに44時間。
S、たいへんだったのによく頑張ったね。お疲れさま。ありがとう。

生まれて1時間もしない赤ちゃんはクシャミをしたり泣いたりしていた。
生まれて2時間もたたないのに、泣きながら首を持ち上げるのには驚いた。
寝顔も泣き顔もなんともかわいい。
じいじいとばあばあは幸せをかみしめながらあなたに会えた
喜びを語り合ったことを話してあげよう、いつかね。
ありがとう、生まれてきてくれて。

Sたちのお友達もお祝いに早速駆けつけて、ビデオで撮影してくれたり、お祝いを言って
下さったりしていた。ありがとうございます。

新聞を記念に保存しよう。主人は郵便局に行ってハガキに今日のスタンプを
押してもらってきた。
2005年1月8日(土)
ウィリング横浜で研修会に参加。
森田汐生(もりたしおむ)氏の「アサーティブネス」についての講義2回目。
アサーティブネスとは居丈高になることもなく、へりくだることもなく、誠実に率直に対等な意識を持ち、
自分と意見や価値観の違う人ともきちんと自分の気持ちを相手に伝えることであり、伝えた後も良好な
関係を保つことを可能とするものであるという。

こうした考え方、実践の仕方を教えていただいた。
なかなか難しいが、何を相手に伝えたいのか、本当の問題は何なのかということを把握しなければならない
ということが実感できた。
気持ちのいい時間であった。偏に森田汐生講師のお陰である。すらっと長身のスタイルのよい彼女には、
今後益々活躍していただきたい。
2005年1月7日(金)
Hくんの成長には目を見張る。
車の好きな彼にミニカーをお年玉として渡したのだが、それを抱いて寝て、寝る前にも朝目覚めてからも
何度も何度も「Fしゃん、これくれてありがとう」と言ってくれるのであった。ミニカーはたくさん持っており、
同じものを持っているのにである。それもしみじみとした感じで言われてじんと来るものがあった。

朝目覚めて、顔があったとたんににっこりして「おはよう」と言う。
そして「あー、よくねた」と言ったのには笑えた。「お空、ぴかぴかだよ」「雨降ってないよ」という。
朝、露天風呂に一緒に入り、湯船の中で手を広げて歩きながら「きもちいいねー」。
もう、むぎゅーっと抱きしめたくなる。
いい子に育ててくれたねEちゃん、ありがとう。
2005年1月6日(木)
職場の研修旅行。箱根に行き大涌谷からロープウエイで下り、箱根園で食事をした後
水族館を見学し、海賊船に乗って箱根町へ。
そのまま熱海へ。宿は熱海梅園の近くでちょっとわかりにくいところにあった。
熱海梅園の入り口の河津桜は咲き始めていた。

Hくんが初めての参加。子どもがいるって本当に和むことを実感。
何とも可愛い。元気に参加してくれてありがとう、Hくん。
思わず抱きしめて、大好きだよと言ってしまう。
Eちゃん、お世話をするのが大変で疲れたでしょうけれど、Hくんを連れてきてくれて
ありがとう!

行政の福祉バスを使用して宿泊する旅は今回で終わりである。来年度からは日帰りのためにしか
使用できなくなる。
最後に添乗してくださった障害福祉課のAさん、ありがとうございました。
本当にいろいろと面倒を見てくださり、感謝しています。

今まで添乗してくださった方は、車いすに一度も触れることもなく、ただバスの中では
退屈そうにしており、食事中はお酒をそれなりに召し上がってご機嫌にしておられした。
私達と何か会話するでもなし、どうして私達の研修に参加されるのだろうと不思議でさえあった。
おそらく、今回のAさんのような形で参加されるのが本来のあり方なのではないかと得心のいったことであった。
2005年1月4日(火)
医師にビニールのヒモが出たと話したら、驚いておられた。
普通、ヒモはなかなか出てこなくて、腸を半分も切断するという難しい手術に
なり、命を落とすことが多いということであった。
ロンは命拾いをしたと言われた。
念のために昨日と同じ注射を打たれた。食事はいつもの半分にという指示を
受けた。料金4200円也。
すっかり元気になって、いつも通りがっついて食べるようになった。
よかった、ホッ。

市立病院に行って耳の検査をしてもらう。見立ては前にいった病院と同じであるという。
補聴器を付けたいのなら、前の病院でということであった。
精神的なものから来ているように思うのだが……と話してみたところ、
精神的なものから来ていることに気づくようでは、精神的なものではないでしょうとの
医師の言葉であった。そんなものだろうか?
2005年1月3日(月)
箱根駅伝は駒沢大学の総合優勝であった。
4連勝、おめでとう。

お隣さんから紹介してもらった病院に電話をしたら、すぐに診療してくださるとのことで
連れて行った。
熱もなく、寄生虫もいない様子なので、おそらく異物を飲んだか、体によくないものを
口にしたのではないかと思われる。腸が触診できるので……。
と言うことで注射を打ってくれた。とても丁寧に説明してくださり、ロンの状態や
医師の見立てや治療(何時間くらいから効き始めるかまで)がよく理解できて安心できた。
料金、4200円也。

夕方の散歩時、長いひも状のものが出てきたと主人がいうので、よく観察してみたら
どうもビニールのひものようである。
とたんに下痢は止まり、食欲が出て元気になったのでホッとした。
けれども食事と水は医師の指示通り制限した。
2005年1月2日(日)
Sの祖父が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りします。

暖かなよく晴れた日であった。
箱根駅伝を見ていた。往路優勝は東海大であった。
いつ見ても大学生たちの走りには感動する。

ロンの様子がよくない。吐いたり、下痢気味であったりしている。
元気がなく、体を小刻みに震わせたまま寝ている。
明日、病院に電話をしてみよう。診てもらえるだろうか。
2005年1月1日(土)
新しい年が明けた。例年通り近くの神社へ初詣。
半月に近い下弦の月が煌々と雪の残る辺りを照らし、明るい夜道であった。
例年のごとく破魔矢を買い、檜の香りのするよく冷えておいしい御神酒をいただき、
たき火に手をかざして帰ってきた。

今年は我が家にとって、素晴らしいことがあるので、本当に楽しみなことである。
昨年のクリスマスに結婚したMにとってもいい年になることだろう。
健康で笑い合えることの多い年でありますように!




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